基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

デッドアイ・ディック カート・ヴォネガット

あらすじ
いかにしてルディ・ウォールツはデッドアイ・ディック(必殺射撃人)と呼ばれるようになったのか。

感想 ネタバレ無

奇人・変人・普通人たちがコミカルに織りなす人間模様を描く、涙と笑いの感動作。と説明文に書いてあるのだが、読み終わった後によんでもハテナ?という感じ。ユーモアのセンスが違うのかしらん。
奇人と変人の違いはどこにあるんですかね。というか、この本には奇人というよりもただの精神異常者しかおりませぬし。
非常にまじめな話でもある。
幼い頃に人を殺してしまった経験を持った人間がその後どのような人生を送るのか。
どこまでが自分の物語なのか、などなど。
面白い。
まえがきで、主人公が子供のころに犯した罪は全て私の罪であるといっているが
人を殺した事があるということなのだろうか、と思って経歴を調べてみたら戦争経験者であった。合掌。

短い場面ごとに区切られていて、その終りにオチとも思える言葉がついてまわった。確かにそこは常にユーモアたっぷりだったかもしれない。その文章のリズムが読みやすくて、短い場面ごとに区切られているところも読みやすい。



ネタバレ有

昔誤って殺してしまった人の事を、何十年も経ってからも忘れることなく覚え続けていかねばならないというのは、いったいなんなんだろう。何年もたってもお前がデッドアイ・ディックか?と聞かれるたびに一体どんな気持ちになるのか。死にたくなるに決まってると思うが・・・。

わたしが撃ったときにエロイーズ・メッツガーのおなかにいた子供が、もし生きていたら、今年で三十八になる! 考えられますか?
 もし、この二人が、ほかの区別のつかない無のひとひらのままで、どこにもない場所を漂っていなかったならば、いまごろは何をしているだろう? ひどく忙しい思いをしているかもしれない。

何年たっても、こうして殺してしまったことを考え続けるのだろう。良かれ悪しかれ、人生のターニングポイントになることは間違いない。

もちろん、私はミッドランド・シティの有名人だったから、気のせいかどうか、何度となくこんな言葉が聞こえてきた──「デッドアイ・ディック」
 私は聞こえないふりをしていた。この人物あの人物をふりかえって、「デッドアイ・ディック」と陰口をきいた事をとがめる理由がどこにあるだろう? わたしはその名にふさわしいことをしたのだから。


フェリックスの気が狂ってしまったけれども、それが大変な事のようには感じられなかった。人のためになる気の狂い方もあるのかという気分だ。

しかし魅力的な登場人物の多い作品であった。そのほとんどが気が狂うか、もしくはその気が狂った人間の被害者で、しかもその被害者は特Aの常識人?善人?であるという事だけが悲劇か。

エロイーズ・メッツガーの夫しかり、シリア・フーヴァーの夫しかり、ルディ・ウォールツしかり、悲しいぐらい現実的でまるで現実にいる人間をトレースしたかのようだ。

ある種自伝的な内容をとっているからだろうか。