基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを カート・ヴォネガット

あらすじ
億万長者が隣人愛にとりつかれて人々に分け与えた時にいったい何が起こるのか?という話。


感想 ネタバレ無

すげー話だわな。本当ならただのバカで終わるはずの正義の使者が金という助力を得た時にどれだけの効果を与えるか、という事ですよ。愛の話でもあるし、金の話でもある。

いや、金の話か?結局世の中金なんだよぉー!って言っているようにも思える。何しろ主人公だって、もし仮に億万長者じゃなかったらそれこそただの一人の気が狂った実力不相応の事をしようとしているキチガイにしか見えないんじゃないか。
もっとも億万長者でもキチガイにしか見えないが。

少なくとも世の中愛があれば何でもできるんだ!といっているわけではない。こういう生き方をしたらどうなるか?という興味だけで書かれているようにも思える。

持たざる者には持つ者の苦しみはわからないのかもしれない。美を持っていながら美を捨てたかったシリア・フーヴァーのように生まれながらに金を持っていたローズウォーターは金を捨てたかったのかも、と思わずにはいられない。



ネタバレ有

「あなたは下っぱのものを助けるために、ひとの欲しがるものをみんな捨てなさった。でも、下っぱのものはそれを知ってますだ。ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを。おやすみなさい」


誰にでも優しいのなら、感謝する気も湧き上がってこないんじゃないかと思うのは自分だけだろうか?
誰にでも優しいのは誰にも優しくないのと一緒みたいなもんじゃないか。受ける側には違っても、与える側からしたら一緒だと思う。
説明しづらいけれども、優しくされる事には一種の特別な、という感情がつくから嬉しいのではないかと。つまり誰にでも優しくしているんだったらそこに特別な、という感情はつかなくて・・・・

まぁいいや。
つまり何が疑問かというと、ちゃんとこうやって感謝されているというのが疑問だったわけだ。誰にでも優しいのならば周りにはそれを利用しようとしにくるヤツらばかりになるのじゃないかと思ったがよくよく考えてみたらそれは違うな・・・。自分が特別じゃないからといって感謝をしない理由にはならないか。

「もしきみが人に愛されず、忘れられたければ、おっとり構えること」


おっとり構えていれば、人に何も残さないから忘れ去られていくということか。まぁそんな事できれば何も苦労しない気がするが。

「あなたの財産は、あなたの目から見たご自分と、他人の目から見たあなたに関する、最も重要でかつ唯一の決定的要素である、ということ。金を持っているから、あなたは特別な人間なんです。金がなければ、一例をあげると、あなたはいまマッカリスター・ロブジェント・リード・アンド・マッギー法律事務所の古参経営者の貴重な時間を、こうしてとりあげることもできないのですぞ。
 もし、あなたがそのお金を投げ出せば、あなたはまるっきりただの人になりさがってしまうのです。あなたが天才でもないかぎりはね。あなたは天才ですか、バントラインさん?」

ここでは完全に世の中金がないと何もできないんだよ!と言っているがまさかこれが本当にいいたかったわけでもあるまい。そういう事を思っている人間もいるという事だろう。しかし面と向かってお前が特別なのは金だけだといわれるっていうのもなかなか辛いものではあるな。思わず金なんか捨ててやると言ってしまいそうだ。しかし真実でもある。

「そうさな」ようやく一人がいった。 「貧乏はべつに恥じゃねえよ」この言葉は、インディアナ州出身のユーモリスト、キン・ハバードの、有名な古いジョークの前半だった。
「そうよ」もう一人の男が、ジョークを完結させた。「でも、まあ似たようなもんだ」


言っていることもなかなか格好いいが、こういう魅せ方がすごく気に入った。つまり有名な古いジョークの前半だった〜ジョークを完結させた。の流れが凄く格好いいと感じる。すげーセンスだと書かざるを得ない!

「わたしには、エリオットさんのまなんだ教訓はこういうことに思えますがね」トラウトがいった。
「つまり、大衆は、分けへだてのない愛を再現なく必要としてるんです」
「そんなことが耳新しいかね?」上院議員が耳障りな声で問うた。
「耳新しいのは、ある人間がそういう種類の愛を、長期間にわたって与えつづけることができた、ということですよ。ひとりの人間にそれができたとすれば、たぶんほかの人間にもそれができるでしょう。つまり、それは、役立たずの人間に対するわれわれの憎しみや、その連中のためと称してやってのける残酷な仕打ちが、人間の天性の一部ではないことを意味してるんです。エリオット・ローズウォーターという実例のおかげで、何百万、何千万の人びとが、目についた人間をだれでも愛し、助けることを学ぶでしょう」
 トラウトは、この問題について最後のひとことを述べる前に、一人ひとりの顔を見まわした。
その最後のひとことは──''喜び''だった。


まぁこれの何が楽しいかって言ったら、ジョン・アーヴィングの小説の中の言葉を借りれば、現実にはあり得ないという意識に心地よく反するからである。普通なら、こんなことはしないよ。でもこんな人がいたら、それはいろんな人に勇気と与えるだろうな。ノーベル平和賞ものだよ。

作品全体で何を感じたかといえば、上で引用した金の話でもあるし、上で引用した愛の話でもある。

どちらが正しいとかどちらが素晴らしいとかそんな事はどうでもいいけれど、そういう事を考えさせてくれる小説であった。