基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

神様のパズル 機本伸司


あらすじ


宇宙は作れるのか?というテーマと共に究極のテーマでもある自分とは何か、などを追及していく話。


感想 ネタバレ無

うおーやべぇ今日は100ページぐらいで止めとこうかな、るんるんとか思ってたらいつのまにか300ページノンストップで読み続けていた。小説熱がまたも燃え上がってくる感じだ。小説熱というよりもSF熱か、最近文学ばっかよんでたからな。血がSFを求めているのだ。

映画化されるというから原作を読んでみたくなったのだが、これは映画化してほしくないなぁ・・・・アニメ化にもされたくないし漫画にもされたくない・・・。小説のままでいてほしかった。

あとがきが秀逸。改めて小松左京という人物の偉大さがわかる。今にも死にそうなおじいちゃんだが、もし仮に死んでしまったら(そう遠い未来でもないだろう)信じられないぐらいの喪失感に襲われると思う。

日記という形態をとっている。そういう作品の場合、割合意図的な嘘が含まれている場合が多いのだがはたしてこの作品はどうかな。

続きの気になる度は異常。先が知りたくてたまらなくなる。宇宙は作れるのか、なんてそれだけでどきどきわくわくさせられる内容なのだから、当然だといえるだろう。しかもそれを、ちゃんと考証してやっているのだから凄い。

もっとも読んでいて考証の部分は全く理解できなかったが、ハードSFというジャンルはえてしてそんなものである。(えてしての使い方、あってる?)

いわゆる凡人、普通の単位を気にする大学生と、飛び級して大学にいる16歳の天才少女というありがちといえばありがちな展開だが、テーマはあくまでも宇宙は作れるのか?であって二人の関係性のほうには重点は置かれていなかったように思う。

もちろん天才少女ゆえの苦悩などがあってなるほど、それは悲しいね、といいたくなるような過去を背負ってきてるのだが、それはやはり意味はないだろう。って、そんな事が書きたいわけじゃないっていうかそういう事ではないんだが・・・うまく書けない。

ひたすら宇宙は作れるのか?という事に邁進していくのであって、興味の対象はそこに尽きる。という事が言いたかったのかなぁ。

知りたくない人なんていないだろう。



ネタバレ有

ていうか結局主人公何かしたわけじゃねーな・・・!全部穂瑞沙羅華がやってるじゃないか。ていうか凄い名前だな。全然読めないぞ。仏教の世界に出てきても違和感がないな

「宇宙は''無''から生まれた」と、彼は言った。「すると人間にも作れるんですか? 無なら、そこら中にある──」


最初はなるほどと頷いてしまったものの、別にそこらじゅうにねーよと思ったがディスカッションの中で散々言われていた。

しかしこのディスカッションという手段、現実においても両者からの意見がいい感じに出ればわかりやすいし、それが小説の中というのならばいわずもがな、こういう複雑なSFの話題の中ならばディスカッションというのは非常に有効な手管であろう。これのおかげで少々わかりやすくなった。

全然わかんないけど

物理的な話が難しすぎる。ちょっとついていけない。超ひも理論とか、量子力学の初歩的な原理とか、原子などの仕組みみたいな高校レベルの知識などならSF読みとして知っているがそれも小手先の知識なもので。

しかしどう考えてもこれは綿貫(主人公)と沙羅華くっつくだろーと思ってたがくっつかなかったな。時をかける少女(映画版)のキスをしない終わり方のようなものか。

このあと二人がその後どうなるのかはわからないが、まぁそれも想像して楽しめばいいことだろう。

あとがき、より

 先日、小松左京先生とお話できる機会に恵まれ、そのことを打ち明けたところ、先生はこう言われたのです。
「『宇宙を作れるか』というのは、実はエロス。そのための仕掛けを作っていく過程はバイオレンスに入ってくる」
「SFはそのくらい広げられる」


なるほど、誰もが持っているあこがれ、欲動、それがエロスだとすれば宇宙を作れるか、という誰もが興味を持つこの話題がエロスに該当して、その過程を作るためにある程度強引な手段を使って結論を見つけ出さなければいけないその過程がバイオレンスに該当するという事だろうか。

しかしこの小説でビンビンと伝わってきたのは、宇宙の作り方以外にも、世の中で当たり前とされている事について何も考えていない自分たちはなんと愚かなのかという事でもある。

ドが何ヘルツなのか?という問いから、なぜ地球は丸いのか?などなど誰もが常識として知っている事でも、なぜそうなのか?と聞かれると全く答えられない事は唖然とするほど多い。そんなことはいまさら指摘されるまでもない。だが忙しい日常で忘れ去ってしまいそうなそんなシンプルな問いが日常生活において意外と重要だという事は忘れてはだめだろう。何しろそういった事は、世界の基本骨子であって、いうなれば土台であるからだ。基礎ともいえる。何事も基礎は大事だ。何よりも最初に知らなくてはいけないのは、この世界の基礎だったりするのかもしれない。

結果的に宇宙を創るという試みは、一応成功?する事になるが(シュミレーション上でだけ)それはやっぱり、失敗だったのかもしれない。

''自分''について問いかけた場合、物理はその答えを与えるものではない。しかし物理は、ちゃんと''保障''してくれているのである。別に大発見でも何でもない。ちょっと考えれば、当たり前のことだ。けれどもこれがわからなかった。

物理のみに限って言えば、そうだろう。一側面からの自分を肯定する材料に過ぎない。