車輪の下 ヘッセ
名作である。
あらすじ
少年ハンスは周囲に求められるままに勉強をし、自分の欲望を抑え込み、神学校の入学試験に通るが彼の苦悩はいっそう激しくなるばかりであった。
感想ネタバレ無
車輪の下というのはどういう意味だろうか、と考えてみる。社会の歯車とかいうように車輪は社会の比喩的単語じゃないかな、と思う。つまり車輪の下っていうのは社会の下で押しつぶされているっていう事じゃないかと勝手に解釈する。
ヘッセの日本で一番読まれる入門書的存在である。ちなみに読むのは初めて・・・。もっと早くに読んでおけばよかったと後悔。今までヘッセの作品を一つも読んで無かったことに気付いたのが最近だったからなー 突然読みたくなって読むにいたる。
15歳ぐらいの頃に読んで、その時の感想と今の感想を見比べたかった・・・。多分15歳の時に読んでいたら影響されていただろうな。
一種自伝的なところがあって、精神描写が痛いほど複雑である。また、他の国では車輪の下はヘッセの作品の中ではそれ程評価が高くない。
日本は昔から受験戦争がひどくて、主人公であるハンスの勉強に対する苦悩を理解出来る人間が多かったからじゃないかと思う。
現に今も同じような精神的傷をおった人間が日本でも量産されていることだろうなぁ。小学生から受験に追われる子供たちを見てるとどこか歪んでいく気がするよ。
また読んでる最中に雰囲気が似ている映画で『死せる詩人の会』 (DEAD POETS SOCIETY)を思い出した。この映画も名作だった。 内容も詩的でひとつひとつの描写がとてもきれいなものに見えてくるあたりさすがに凄いなぁと思う。
ネタバレ有
周りの言うがままに朝から晩まで勉強して、好きな釣りも禁じられて友達付き合いも禁じられて、勉強しているもんだからこいつ絶対に性格が歪んでくだろうなーと思ってたが、歪んだ性格にはならなかったかわりに(多少はもちろんなっているがそこまでじゃない)精神に深い傷をおってしまうとか読んでいていたいたしすぎる。
まだ性格が歪んだ方が良かったかもしれないな。それこそ神林長平ではないが、やはり子供は親に反抗してこそ初めて人間になるのかもしれない。 ここに少しその部分について印象に残った文を引用する。
なぜ彼は最も感じやすい危険な少年時代に毎日夜中まで勉強しなければならなかったのか。なぜ彼から飼いウサギを取り上げてしまったのか。なぜラテン語学校で故意に彼を友達から遠ざけてしまったのか。なぜ魚釣りをしたり、ぶらぶら遊んだりするのをとめたのか。なぜ心身をすりへらすようなくだらない名誉心の空虚な低級な理想をつぎこんだのか。なぜ試験のあとでさえも、当然休むべき休暇を彼に与えなかったのか。
ハンス少年は結局ずっと親のいいなりになって、親の顔色を見て生きて、結局無残にも若くして自殺してしまった。これじゃあ悲しすぎるな。
くつ屋のフライクおじさんがこの本の最後のセリフを言っているが、それが実に悲しい。フライクおじさんはハンスをちゃんと人間とみとめていた人の一人だった。フライクおじさんはハンスに勉強をやめさせたかったんだろうが、ハンス自身がやりたいと言ってやり続けたんだからおじさんには止める権利が無かった。そしてハンスが死んだときにハンスの父親に向かっていった最後のセリフ
「いや、もうなにもいうまい。あんたとわしもたぶんあの子のためにいろいろ手ぬかりをしてきたんじゃ。そうは思いませんかな?」
周りが悪いというよりも、そういう思想をうみつける社会が悪なのだといっているんだろうなと思った。作品全体としては。