あらすじ
日本SF界の大御所である、小松左京がSFについて語る。新潮新書。
感想 ネタバレ有
星新一さんおもしれぇなぁ。イメージしてたのと180度違う感じですよ。逆に小松左京というイメージも、110度ぐらいはイメージが変わった。
本文にも書いてあるように、SF好きというのに一種の傾向があるというのも、うなずける話だ。見ているものが現実ではないというのだろうか。日常が物語の中に片足突っ込んでいるような人間が多いように感じる。
それからこれは他のSF好き人間に申し訳ないが、非常にホラ吹き、冗談が好きなやつが多い、気がする。
SFというのが、どれくらい広くて深いのか、という話でもある。そういう意味では、海外のSFと比較しても、日本のSFは広いと思う。
これは別に本文に書いてあったことではなくて、自分の考えである。
アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラークなどなど超有名なSF作家は海外に多いけれども、書いているものは誰が読んでもSFと認めるようなものばかりだ。
日本のSFは、もうSFという言葉ではおさまらないように思う。SFという定義などは、昔から論争が絶えないけれども、日本のSFにはそれこそ何でもある。日本語は英語に比べると、何かを説明しようとしたときなどに、向いていない。
しかしそのかわり、おおざっぱに説明するのならば、日本語のほうが、適しているといえるかもしれない。 つまり、そういう日本のSFは、大ざっぱな日本語の上に成り立っているといえるかもしれない。
意識とか、仮想世界だとか、そういう科学とはまた別種のものを書いた作品に関しては、自分は日本のSFのほうが優れていると感じる。
しかし小松左京さんも、えらく数奇な人生を送っているものである。戦時中逃げ惑ったり、ラジオの脚本を書いたり、世界を回ったり色々。忙しい人である。
SF魂とあったので、永遠とSFについて語り続けるのかと思ったが、そうではなかった。ほとんどは小松左京という人間の、人生の軌跡を描いている。
一部退屈な部分もあったが、反面面白い話も多かった。経歴などにはあまり関心はないが、他の作家とのかかわりの部分や、作品自体について書いてある部分は、面白い。
日本沈没発売当時の熱狂や、特に未来についての話は印象深い。
SFとは何か、なんて答えにくい質問であるが、最後の締めはこんな感じで終わっていた。
かつて野田昌宏さんは、「SFは絵だねえ」という名言を吐いた。ならば僕にとってSFとは何かを考えてみた。
SF とは思考実験である。SFとはほら話である。SFとは文明論である。SFとは哲学である。SFとは歴史である。SFとは落語である。SFとは歌舞伎である。SFとは音楽である。SFとは怪談である。SFとは芸術である。SFとは地図である。SFとはフィールドノートである・・・・・。
いや、この歳になった今なら、やはりこう言っておこう。
SFとは文学の中の文学である。
そして、SFとは希望である──と
ちょっと格好つけすぎかな、という感もあるが、それを書いたのが小松左京であるのならば、それはありだろう。
SFにおいて重要なのは、相対化、そして思考実験である。