基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ゲイトウエイ/フレデリック・ポール

あらすじ
形もどんな事を考えていたのかもわからないヒーチー人。そのヒーチー人が残した超高速船に乗り、安全かどうかもわからぬ大宇宙に飛び出していく調査員の一人である主人公の物語

感想 ネタバレ無

精神を病んだ主人公が、その罪を告白していくという形式をとっていく。

ある意味ミステリー要素を含んでいる、誰が言ったか忘れてしまったが、すぐれたSFはミステリー的な要素を少なからず持っているものだ、といったことを思い出す。確かにこれは謎解きとしては面白いものだ。予想できるものではないが。
来るべき結末に向けて、いったいなんだろう、と予想しながら読むのが正しい読み方である。滅多に正しい読み方なんて、いう必要はないと思っているが、誰にでもここそれぞれ、読み方があるだろう、ひとつの読み方に縛りつけられるのはバカというものだ。ただ、この話の場合、読み方を間違えるとこの人たちがやってるのはなんなわけ?どこにむかって話がすすんでいるわけ?というように感じてしまうかもしれない。

それはある意味で大いなる損失だ。

精神を病んだ人間の描写がうまい。というよりも、一人称視点で書かれているため、主人公と自分とを重なり合わせて読んでしまうタイプの自分には、読んでいるうちに胸がムカムカしてきて途中で読み進められなくなった部分もあったぐらいだ。

ラストの終わり方には、SFにはこれがあるからやめらんねぇ、というような爽快さがある。SFだからできた事だ。この微妙な、ラストの心情を表現するという事は。

なかなか絶望感あふれる世界だ。問題といえば、上記に記したような、読み方を間違えると駄作になりえる、ということと、リズムの問題だろう。
ある表記上の問題のせいで非常によみずらかった。いったい何のためにあんなものが大量に挿入されているのか、もう少しタイミングをずらせなかったのか、色々不満はあるものの、ラストへの収束していく感覚はさながらあるべき未来へ帰って行く、バックトゥザフューチャーといったところか。


ネタバレ有


ページの合間合間に入る、広告とかはいったいなんなんだ、文章は途切れるは、ほとんど意味のない広告だわでいらいらさせやがる。
むしゃくしゃするぜ、ちくしょうめ
ジークフリートの淡々とした話し口調が無性にいらだったのだが、まさかラストで機械の自意識みたいな問題に発展させてくると思わなかった。
不覚にも泣いた。
なんだこれは。
まったくどうしようもないな、シグムントフロイトじゃないんだから。

ともかく人生とは
経験学習の
積み重ねで、
経験学習を終えて
卒業するとき
きみが証明書の代わりに
手にするのは
きみの死だ。


生涯学習って事ですね、わかります。死ぬまで学習かーやんなっちゃうねまったく。90歳にもなったら脳みそは現役の70%の大きさになっちまうっていうのに、それでもまだまだ学習しなくちゃいけないんですかね。まったく、長生きするってのも考えものだよ。
死ぬまで経験学習してその証明書が死だってんだから。

ぼくが子供だったころ、お祭りでは冗談の種にする本がよく売られていたものだ。それは''ヒーチーについて知られているすべて''とされていて、百二十八ページもあり、全部が白紙だった。


詐欺やん、それ詐欺やん。
まぁ昔の田舎にやってきた詐欺のおもちゃ屋のおっさんみたいなもんか。
あらかじめ白紙だってんのがわかってるんだからオープンリーチならぬオープン詐欺だわな。

待つんだ。
長い、長い、非常に長い時間を待つんだ。


ブラックホールに近づくほど時間の流れが遅くなるので、ブラックホールに飲み込まれようとする人間がもしいたとしたら、その人間は時間が細切れになって永遠にブラックホールに飲み込まれる事はない、というのは割と宇宙ネタじゃ有名な話だと思うが、それを実際にやったという事が凄いところか。
ここまでの話は全て前振りだったというわけで。
ハっとさせられるのもここからで
何故精神を病んだかというネタバラシの最終章でもある。

そして、その場から一人助かってしまったとすれば、それが消すのが容易ではないトラウマになるのも仕方がないことだろう、何しろのうのうと過ごしているこの瞬間にも、はるか遠くブラックホールの目の前では、客観時間ではいくら時間がたとうとも、一人死んだあとも、いつまでも細切れにされた時間を目の前にして、ブラックホールに飲み込まれようとしたまま、動く事はなく、何故こんな事になってしまったのか、と悩み続けるに違いないのだから。それが観測者としての自分がいなくなったあとも永遠に続くというのはいったいどういう気持ちがするのだろうか

「罪悪感。おそれ。苦痛。ねたみ。動機づけるものです。修正させるものです。そういった特質はね、ボブ、わたしが持っていないものです。家庭的な意味での場合を除いてね。わたしが学習のために例題を作って、わたし自身にあてはめてみるとき以外はです」中略「さあ、やっと、あなたが尋ねられた事に答えられますよ、ボブ」「おまえに尋ねた?どういうことを?」「あなたは私にこう聞かれました。''これを生きているっていうのかい?''って。答えます。はい、それこそ、わたしのいう、生きているってことです。そして、わたしにある最高の推測的感覚からすれば、わたしはそれが非常にうらやましいんです・・・・・」

何もかもひっくるめて生きているということなのだと。そういうことか。ってそんな当たり前の事が言いたいんじゃない。
考える事の出来ない、精神分析医としての、機械としてのジークフリートが、今まで冷静にあくまでも機械である事を自覚させられて存在していたジークフリートが、言ったという事が重要なのであって。

この結論に至らせるまでに、ブラックホールに九人も置き去りにするというような事件が起きなくてはいけなかったという事が心苦しいものの、それだけの重みがある言葉になったと感じる。