あらすじ
世界を肯定する哲学
感想 ネタバレ有
ていうか芥川賞とった人なんだなぁ。
教授で小説書く人はすでに、他の人より何倍も差をつけてるわけだから卑怯といえば卑怯だな。
正直いって真中あたりに書いてある事は、読んでる間はふむふむと思ったものの読み終わったら印象がポカーンと頭の中から抜けてしまったので割愛せざるをえない。
またいつものようにノンフィクションに関しては、なるほど、これは覚えておきたい、または書き記しておきたいと思ったことのみを記述していく。
人類はたった十万年前に生まれたばかりなので、宇宙の歴史=百五十億年に対して''誤差の範囲''にすぎないし、三十五億年という生命の歴史に対しても'' 誤差の範囲''にすぎない。よくいわれるような一日の時計の比ゆでいおうとしても、百五十億年を一日=八万六千四百秒とすると十万年は一秒にも満たない。百五十億年を一年としてスケールをとってみて、十万年はようやく十二月三十一日の午後十一時五十六分三十秒と、肉眼(?)で分かる長さになる。
げぇーまじかよ。一秒にもみたないって・・・。地球を風船にたとえると表面の3ミリの部分に人間が存在しているだけだともいうし、なんてちっぽけな存在・・・明日死のうが10年後に死のうがまるで無意味なように聞こえてくるなぁ
実際無意味なのだろうが。
宇宙に生命がいっさい存在しない何百億年という時間を『どう考えればいいのか』なんてあまりに人間的すぎる疑問でしかなくて、まったくとるに足りない。
確かになぁ。そんな事考えるの人間だけだし、宇宙はそんな事無関係に勝手に膨張して勝手にちっちゃくなっていって勝手にビッグバンするんだもんなぁ。考えるだけ無駄っていうことか。
設問が正しくないと答えも出ないっていうしな。自分とは何か、とかいう答えもそれと同じか。あまりにもバカすぎて、答えもでないってやつか。
自分とは何か→別に何でもない、長い時間の流れの中で一瞬存在したゴミのような存在
私が使う「愛」と彼女が使う「愛」は同じではない。その基底となる経験が違うから。
まぁそうだよな。何にしろ人と自分の見え方感じ方は違うのだから愛だって違うか。
親子の関係ももちろん''差異の体系''の外にある。親が子供をかわいいと思うのは「自分に似たところがあるからかわいい」わけではなく、まして「他の子供よりも姿かたちがいいからかわいい」のではなくて、「自分の子どもだからかわいい」。それ以外に理由はないし、それ以外の理由を求める必要もない。
確かにそんな理由でかわいがられているのだと、子供が知ったら、きっとかわいいから、かわいがられているのであって、かわいければ私じゃなくてもいいのだ、という結論に至って絶望するだろう。
でもよく考えてみると、結局かわいがられているのだから、どちらにしろ同じだともいえる。かわいくないから捨てる、などだとちょっと困るが。
ちょっと簡潔にまとめすぎたが、まぁこれぐらいでいいだろう。