基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

シュルレアリスムとは何か/巌谷 国士

最近ノンフィクションのほうに偏り気味だ。

感想 ネタバレ有

結局シュルレアリスムってなんだったの・・・?
現実的な事みたいな意味らしいってことはわかったが、何がどう現実的なのかわからん。

ただ書いてある事は非常に面白かった。話しながら内容を考えていると、公言しているぐらいなので、正直いって内容はまとまっていない。あっちに脱線してこっちに脱線して結局まとまるのが凄いとよくいわれるんですよーみたいな事を、途中で書いてるけど実際のところまとまってないと思うんだが・・・。

それは置いておこう。まとまっていないというのは確かにそう感じたのだが、語っている内容は面白いからな。講演をまとめたものだから、しょうがないのかもしれないのだが、いちいち(笑)などと文章に、ところどころなんていうレベルじゃなく頻繁に混ざっているのは辟易した。

笑ったのはわかったから書かなくていいよ・・・!

不満だったのは上に書いたものだけで、ここからは全て賛辞だ。
完全にシュルレアリスムについて無知の状態から100を上限として30ぐらいの知識を蓄えたような気分にさせてくれた。
メルヘンとは何かというのも読んでいて非常に納得させられる話だったし、ユートピアについてもそうだ。ことシュルレアリスムについて、という事だとよくわからない事も多かったが、上記二つの話は面白い。
もっとも正しいのかどうかわからないけれども。

シュールという意味が誤解されていると書いているけれど、すんなり受け入れる事が出来た。だいたいシュールなんていう言葉の意味をまともに考えた事なんて無くて、シュールはシュールだろ?という次元だったのだから矯正もたやすいのだろう。今でも、多くの人が使ってるこれはシュールだな、という言葉の意味はわからんが。

メルヘンやユートピアについても同じだ。メルヘンについて持っていたイメージなんて、やたらほんわかした空気とか抽象的な話ばっかりだな、というものと、ユートピアはきっといいところなんだろうな、というような、どっちもぼんやりとした印象論でしかない。

そのイメージが、がっしりと固まったという意味でもよかっただろう。何故シュルレアリスムとは何かを読んで、メルヘンやユートピアについての認識を改める事になってるのかというのはよくわからんが。

しかし18世紀以前は「子供」という概念が無かったというのはなかなか面白い話だ。確かに誰も子供扱いしなければ、子供というものが無くなるのもうなずける。というか今の状況がおかしいのかな?とちらりと考えたが、無い方がおかしいと想うんだよなぁ。どんな動物だって小さい時というのはあるんだし、それをほとんど大人と同様に扱うというのはおかしな話に感じてしまうのは自分が21世紀に生きる人間だからだろうか。

子供という概念があるというのも考え物だな。大学生だとまだ子供気分が抜けていない人間が多すぎる。いったい20年も生きてきてお前はいつ大人になるのかと。
日本人は子供で居る期間が長すぎるなぁ。かといってどうするわけでもないのだけれど。いったいいつから大人なのか、とかいうつまらない定義論もあるけど。
自分が大人だと思ったら大人でいいんじゃないかな。

子供でいる時間が長いと何かまずい事があるだろうか。
真面目に考えてみると、何もかもマズイような気がしてくるんだよなー具体的に書けないけど。大体大人と子供って何が違うんだろうなぁ。責任を持てる持てないでもないし、自分の面倒を自分で見られる、でもないし、大人な考え方が出来るなんていうのは愚の骨頂だ。

大人な考え方なんてのはある意味テンプレートであって、単純な平均値でしかない。そんな事言ったら世の中の奇人変人全員大人じゃなくなってしまうしな。学校なんていう大量の子供を平均化しようとする地ならしがあるから昔の芸術家みたいな感性を爆発させて作品を作り上げるような人間が生まれなくなった、というような話もあるぐらいだし。

社会的に自立しているかどうか、というのも全く問題外。やはり子供か大人かという二元論は根本的に問いが間違っているのだろう。間違っている問いに正しい答えは出ない。

おとぎばなしについて

その物語はすべて運命に支配されているがゆえに、主人公の自我とか主観とか心理とかはなんの力ももたない。というよりも、そんなものはじめっからない。


そういえばあかずきんちゃんも何でもそうだけど、特に心情が語られているわけじゃないなぁ。言われるまで全く気付かない。極力無駄を省くように省くように、出来る限り短く短くしようとした結果があの洗練された事実のみを書き記したような形だと思っていたのだが。

受動的に、ただあるがままの運命を受け入れるというのは昔自分が言っていたことと全く同じだ。中学生ぐらいだったかな。おとぎばなしにおぼれていたのかも知れぬ。今も正直、あまり変わっていないけれど。微妙に形を変えて残っている。
主義主張を持たない、という主義主張になって自分の中に残っている。

つまりその主義主張ももたないわけだから、結局たまには主義主張も持つということになるのだが。ようするに何でもありだ。
何でもありが自分の人生観とかいうと、適当なやつだといわれるが結構ありじゃね?と思っている。人生観もアホらしいと思いながら書いている。ちなみにここに書いている内容は全て適当に書いてあるので10秒後には全く別の主義に変わっている可能性もあり得る。
2日前までは自民党賛成と叫んでいても今日では突然社民党万歳と叫んでいるかもしれない。

それぐらい適当だ。ほとんど浮いているといってもいい。

ユートピアすなわちこの世に存在しない空間というのは、同時に時間も消去してしまうところだということになります。

時間が幾何学的に構成されているということでもある。

時間割というのは非歴史的なものです。


ユートピアっていうのは理想郷なんだから、人は死なないんだろうなーとか勝手に思っていたがよく読んでみると死ぬらしい。そんなのユートピアじゃねえ、と思うけどそれはそれ、先入観が捨てきれない人間のエゴというやつでそういうものじゃないのだなぁ。ぼんやりとした印象しか持ってないと書いておきながら、実はしっかりとした内容もある程度は頭に残っていた。

 世の中でいちばん自由のない国はどういう国かというと、自分たちが自由だと思い込んでいる国でしょう。自由とは、じつは獲得しようとするものであって、あたえられるものである。自由を謳歌している気分になっているとき、その人々は本当は自由じゃない。


よくわからんが、自分たちが自由だと思い込んでいるのならそれはそれでいいと思うけどな。そいつらに本当はお前らは自由じゃなくてかりそめの自由なんだよ、なんていったって意味がない。確かに与えられた自由なんて、自由じゃないけどな。

ユートピアというものを完璧に構築した場合、そこは地獄に近くなる。


みんな均一になって漫然と生き続けるっていうんだから、そりゃ地獄だろうな。そんときはそこが地獄かどうかも考えられなくなっているだろうから、結局ユートピアってことでいいんだろうけど。無限に近いエネルギーが湧き出てきて、誰も生きるのに不自由しなくなって、死ななくなったら、そうなるかもしれんな。均一化という夢想的な手段に頼らなくても。