基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

星々の舟/村山由佳

不覚にも泣いた

あらすじ
わかんね

感想 ネタバレ無

一章ごとに、一人一人視点が変わっていって、全六章、六人の視点で語られる物語。一方の視点だけじゃ見えてこない物も、他人の立場にたって初めてその意味がわかってくる。

家族とは何か、というのが書きたかったのかどうか知らないが、何を読んでいて思ったのか自分でもわからん。家族について考えたかもしれないし、別の事について考えたような気もする。
単純に家族とは何かを問う小説であるというのではあまりにも漠然としすぎている。

かゆいところに手の届く小説、というような印象だった、途中までは。特にその心理描写において。
ただ、最終章らへんはあやしい。
途中から意見が変わったのは自分でもよくわからんな。章ごとに気に入るものと、気に入らないものが出てくるのはしょうがないだろうが、そのたぐいのものだろうか。
どの登場人物の言っている事も、極端ではあれども決して大枠をはずしていない。直球すぎる表現もまたいい。

一つの家族の在り方に注目して読んだのなら、この形式で文句なしだろうが、もっと各々の問題について読みたいと思ったのならこれは不満が出るかもしれないな、と思った。

女性作家だと思うのだが、全く男の書き方に違和感がない。女性作家なのかどうか、疑ってしまうほどだ。

しかし章ごとに語り手が変わるとは思わなかったから、読んでいる途中は面喰ったなぁ。

ネタバレ有

暁なんか、一章に出たっきりあんまり出てこないしな。片やどのエピソードにも顔を出す重之は、一家を書いた、その大黒柱なのだから当然かもしれない。締めも重之だしなぁ。

締めの重之の話には、ぐっとくるものがあったものの、それを書いている筆者が、別に戦争体験をしたというわけではないのがひっかかるか。いや、してるのかもしれないが。それに、体験していないからといって、そんな話を書いてはいけないという話でも、もちろんないわけであるが。

ところどころのセリフは、あまりにも直球すぎる名言とでもいうべき言葉で読んでいてちょっと恥ずかしくも、しんみりとさせたものだ。

「幾つになっても、人は誰かの子どもだろ?」

特に美希の章はとてもお気に入りだ。ただ、考え方には全く同調できないがな。同調出来るか出来ないかでいえば、同調できるようなキャラクターなんて、この一家の中にはどこにもいない。

誰かに頼る事が出来ないのなら、一人だけで生きて行く、という生き方もあれば、農作業に没頭して生きる実感を得る生き方もある。家族というよりも、生き方を示唆する内容が多かったように思う。
暁と紗恵に関しては、よくわからぬが。この結末が、いったいどんな生き方に繋がっているのか。

野菜など買った方が安いことくらい、言われなくとも知っている。土に這いつくばり、腰や膝の痛みをこらえながら汗だくになっている最中にふと、何のためにこんな思いまでしているのかと疑問に感じることだってある。しかし、その問いはそのまま、自分はいったい何のために生きているのかという問いにまでつながっていて、いつだったか貢は、体の芯の芯、骨の髄の髄まで疲れきって立つ事もできなくなった夕暮れ、自分の耕した畝の上に秋の日が斜めにさしているのをぼんやり眺めていた時にふと、打たれたかのようにこたえが見えた気がして思わず涙ぐみそうになったことがあった。<何のために>ではないのだった。いまここに生きているという圧倒的なまでの実感──それだけでいいのだった。もしも自分に若い頃と同じような生命力がみなぎっていたなら、そんな境地にたどり着く事はなかっただろうと思う。光の中では見えず、日が陰って初めて見えるものもあるのだ。

問いがそのまま、自分はいったい何のために生きているのかにつながってしまうというのは、よくある。こんな無駄な事をして、一体何の意味があるのか、なんて考えてしまったら最後、じゃあ何のために生きてんの?という事に繋がってしまう。結局、無駄な事をやるために生きているのだ。真に有意義な事なんて何一つ無い、と思う。時がたてば何もかも蒸発してしまうのだ。数学者の名前は後々まで残るかもしれないし、科学者の名前もずっと残るかもしれないが、人の歴史の中での話だ。
それだけに、この話はある意味、ありがちだけれども、直球すぎるかもしれないけれど、故に心に残った。

ただ、重之の章の、教訓的な話のオンパレードにはちょっと引いたな。いや、戦争の話ではなくて。そこはまぁ特別な感想なんて無いけれど。
あまりにも普通の事を言っているように思えるのに、作中では親父の最高の名言だった、などと書いてあってちょっと温度差が・・・。

最後は、暁と紗恵のせつねぇーやりとりがあったり、怒涛の重之描写に圧倒される。というか重之ほかの章と、この重之章とで、随分人間が違うような・・・。と冷静になると考えてしまうのだが考えるのはやめよう。要するにこれが一人一人の視点の変更から見えてくる事の真実というものなのだろう。

──幸福とは呼べぬ幸せも、あるのかもしれない。
叶う恋ばかりが恋ではないように、みごと花と散ることもかなわず、ただ老いさらばえてかれてゆくだけの人生にも、意味はあるのかもしれない。何か・・・・こうしてまだ残されているなりの意味が。


この考えには希望が持てる。まるで、その後、僕たちは幸せに暮らしました、と1行で終わらせてしまえそうなそんな人生にも何か意味があるのかもしれない、と思えるというのは幸せな事だ。