基本読書

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水滸伝 六/北方謙三

この壮大な物語、まだ六巻であるというのだから驚きを隠せない。もう三十巻分ぐらい読んだような気分である。

感想 ネタバレ有

何か、この水滸伝で大切な事を挙げるとすれば、それは食事の描写がそこかしこにちりばめられている事だろうか。読んでいてそんな事を考えた。とにかく、ちゃんと食事の事がしっかりと書かれている。

さすがに一から水滸伝を作りなおしただけはある。意味のないところに意味を持たせ、裏の裏まで考えて、塩の道を作りだしたり、各キャラクターにしっかりと意味を持たせたのと同じように、生活に必要な描写も洗いざらい書き出したのだろう。

食事だけに関わらず、生きていれば絶対にせずにはいられない排泄物の処理の話なども、書かれている。本当に至れり尽くせりである。

もう一つほかに考えた事といえば、当然書かれるべきである、弱さというものはいったいどこに出てくるのだろうか。この水滸伝に出てくるキャラクター、誰ひとりとして命を惜しみ、逃げ出すような人間がいない。それはいい。だが、それだけで物語というものは成り立たないのではないか。弱さを担う部分が必要なのでは。

最初それは、女性に担わされているのかと思った。馬桂を読んでいてそう思ったが、それも違う気がする。済仁美に限らず、そんなに弱さを押し出すような女性は書かれていない。

弱さはないのだろうか。まぁまだ全部読んでいないのに書くような事でもないのかもしれない。全部読み終わった時に、総括として書こう。

さて、第六巻である。おもな出来事といえば、秦明の加入、他にも王定六、陶宗旺、欧鵬の加入などなど。特に王定六、このあとまた注目されることがあるのかどうかはわからないが、とりあえずこの巻だけでいえば目覚ましい活躍であった。たくさん書かれた文章でないにも関わらず、存在感を見せつけてくる。陶宗旺も物凄い活躍をするし、まぁそのあと活躍するのかどうかはわからないのだけれど・・・。

こうして考えてみると、面白いキャラクターはこんなにもたくさんいるのに、その一人一人に焦点を当てて語れないというのが、水滸伝最高の落ち度かもしれない。百八人は多すぎるのではないか、と中国の歴史に真っ向から喧嘩を売るような発言だが。

それにしても魯達、自分の腕を焼いて食ったとか凄い奴もいたもんだな。しかし良く考えてみると、中国の話にゃもっと凄いやつがごろごろしていたような気もする。そういう意味じゃ日本だって負けていないし、自分の腕を食うのはひょっとしてそんな大したことないのか?と思わせてしまう中国の物語がこええ。

しかし、どんなに林冲が強い強い天下無敵!といわれようが、一巻の一番最初で王進にボコボコにされていたのを読んでいるのがいつまでもひっかかって、そんなに強いという印象を持つ事が、なかなかできなかった。それほどに王進の存在感というのは強いものだ。時には一回も出てこない巻さえあるというのに。

この最後の終わり方、何気に今までの巻で一番好きかも知れない。誰にも負けないたった一つの自分だけのプライドを守りきった男、というのが、あらわれている。まるでエアマスターのジョンス・リーのように・・・。誰だってその道じゃ負けたくないって事があるよなぁぁぁぁぁ。

 「長く走ることについちゃ、俺は誰にも負けねえんだよ。雷横とか言ったな。おまえ、そう思わねえか?」
 「思う。おまえより走れる者は、この世にいないだろう」
中略
 腹が減っていたが、眠くもなってきた。
 まず食って、それから眠る。王定六は、そう決めた。
 躰が、まだ走っているように揺れていた。


結果的にこの王定六の速さが、林冲を二日早く宋江の元に駆けさせ、それによって宋江も助かったと考えると王定六のやったことは本当に凄いことなのだ。ただ、王定六だけが凄いのではなくて、他にもみなが死力を尽くしてこその結果なのだが。