基本読書

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水滸伝 十三/北方謙三

感想 ネタバレ有

十三巻てなんか不吉やん。十二巻にて、ようやく関勝が加入して、戦う準備が整ったな、と考えていたがまさにその通りで、本格的にこの巻から宋との戦いが始まったな。今までは完全に人数を揃えるためだけに準備して、後手後手に回っていた感じだったがこれからはついに、宋を攻めるために軍を展開していくのだろう。

そのせいか、恐らく宋攻略に最も大事であろう水軍の描写が多かったように思う。ずっと水軍だ。ただ考えてみるに、水軍対水軍ってのは案外地味だよなぁ。日露戦争の時の海軍の戦いは本当に派手で現実の話か?と疑うような面白さなのに。東郷平八郎秋山真之の二人はカッコよすぎる。海軍同士が大砲をどかんどかん撃つだけが戦争じゃないな。

さらによく考えてみたら、どうも派手さが足りないというのは単純に数が足りないからだろう。梁山泊側にはまだ千船もないみたいだし、それで派手さを要求されても梁山泊だって困るだろう。

なんだかどんどん負け色が強くなってきたように思う。というか、冷静に考えて勝てる要素がなかなか見つからない。確かに一癖も二癖もある武将が集っているが、現実的に考えて兵力が圧倒的に足りない上に、宋側に強力な武将が控えている。っていうかお話の王道として、冷静に考えて簡単に反乱が成功しそうなストーリーだったら緊張感も何もないな。やはり圧倒的負けぐらいでちょうどいい。

恐らくこれから幾度か宋軍と決戦するのだろうが、水軍が一番大事な事には変わりがない。大砲の使い手が出てきた時は軽く織田信長の再来かと胸が高鳴ったものだがそれきりほとんど何の描写もなくスルーされておる。せめて凌振には大砲バカらしい最期を願いたいものだが。

朱全←(漢字が出せないからこれで)と孔明と李忠が死んだわけだが存在をすっかり忘れていたぐらいなので何の感慨もわいてこない。朱全の死にざまってもう誰か別の人がやってなかったっけ?という無粋な感想を抱いた。つってもかっこいいのだけれども。


 「秦明、老体に鞭を打って走ったか。間に合ってくれた。俺は、闘い続けることができたのだ」
 返事をしようと思ったが、秦明は声を出せなかった。
 「林冲
 「おう、朱全」
 林冲はしっかりと声を出した。
 「おまえにだけは、あやまらなければならん。俺は、おまえより先に死ぬ。悪く思うな」
 「いいさ、闘い抜いた」
 「さらば」


す、すげぇな・・・。まるで電池が切れるように死んだな・・。こういうのを読んでいると自分でも真似したくなるから困る。死ぬ三日前ぐらいに読んでいたら、たぶん死ぬ時に恥ずかしげもなく「さらば」とかいって死んでのけてみせられる気がする。それにしても本当に感動するのは林冲がこのあと呉用に向かって朱全が死にながら戦っていた、と淡々と説明するところだな。まるでわかってもらえないのはわかっているがどうしても言わずにはいられないのだ、というよういなそんな雰囲気の描写が恐ろしくうまい。

恐ろしい男だった。まるで普通に生きている自分は死んだ方がいいんじゃないかと錯覚してしまうような。というか北方水滸伝を読んでいるといつもお前は屑だなぁげらげらげらと笑われているような気分になるな。なんという卑下・・。

孔明も妙に印象に残る死に方をしていった。

船に押しつぶされて、即死していてもおかしくないのに立ち上がって退却の合図を出して死んだ。なるほど、言葉が無くても行動で示せばいいのか。これは新しい。


 「泣くな」
 童猛はひと塊になっている八名のそばに立ち、声をかけた。
 「泣いたら、孔明が生き返るのか?」
 「でも、隊長は」
 「言うな。おまえらは、よくやった。あの空の赤さを見たか。あれだけ、空を赤く染めたのだ。胸を張れ。孔明も、それを望んでいるに違いないのだ」


北方謙三が書いた小説じゃなかったら、別に孔明がそんな事望んでたかわかんねーじゃねーか、と否定的な難癖をつけたかもしれないがどう考えても孔明はそれを望んでいただろうな。わかりやすいといえばわかりやすい。非常にシンプルだ。

それにしても孔明という名前をつけられたら普通頑張って軍師になろうとしないのだろうか。中国に孔明さんがたくさんいるのかどうかわからないけれど、自分が孔明っていう名前だったら頑張って軍略を学ぶような気がしなくもない。

いや、でもそれは酷な話か。知り合いにケンシロウという名前のやつがいるが、やつはケンシロウという名前だからといって北斗真拳を極めようとは決して思わないだろうからな。ケンシロウと名付けたアホな親は、その妹にユリアと名付けようとしてさすがに止められたらしい。危ないところだった。