基本読書

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水滸伝 十六/北方謙三

感想 ネタバレ有

ついに十六巻まで来てしまった・・・。もうどうしようもない。あと少しでこの物語が終わってしまうと考えると非常に憂鬱である。

死を意識する事によってはじめて生の実感を得るという言葉があるが、物語にもそれは適用されるものかもしれない。この長い話が終わりに近づいて、終わりを意識するにつれて必然的に今までの事を振り返る事になる。

終わりを意識するにつれて今までの内容を思い返す事になった。そうすると沸き起こる感想はただひとつ、異常に面白い、というだけだ。本当にどうしようもなく面白い。王道の中の王道という感じがする。

ここでぐだぐだと一巻ずつ感想を書いていて、途中で全部読んでからまとめてやればよかったのではないか?という事も考えたが、今一度一巻から感想を読みなおしていたらやはり書いていて良かった、と思った。一つひとつのシーンが頭によみがえる。楊志の死、晁蓋の死、楊令の成長。あげればキリがないほどの名場面で溢れている。

必死に目の前の巻だけを読んでくればよかった今までと違って、あと残り三巻にまでなるとどこでどうやってこの話が終わるのかを考えるようになってくる。どんなにでかい戦いがあったとしてもあと二つが限度だろう。はたしてそれがどのように起こって、どういう結末を迎えるのか。そういう事を考えるようになってきた。

それにしてもこの巻は思いがけない攻撃を喰らった感じだ。まさか軍対軍が日常化している中でこんな一対一の名勝負が読めるとは思わなんだ。描写の技術なんて何一つわからないのだが、どう思ったかは書ける。

今まで読んだどんな戦闘描写よりも想像しやすく、緊迫感が伝わってきて、そして面白い。

もちろん洪清と燕青の戦いだ。公孫勝と袁明の戦いでもあるが。あれほどの実力を示されていた樊瑞を一瞬で倒したのも、このときのための前振りだったのだろうか。思うにあれまで洪清の実力はどうも凄いらしいと書かれているだけで、対して描写されていなかった。あの前振りがあったからこそ、この洪清と燕青の名勝負の緊迫感が実現されたのであろう。そう考えると樊瑞の死にも、もちろん意味はあったことになる。まぁ壮大なカマセ犬という事になるが、ストーリーには重要なかませ犬がいつの世も必要なのだという事か。

一対一の戦いの間、こちらまで息が詰まる思いだった。緊迫感が伝わってくる。闘いの終結に泣いた。こういう泣かせ方もあるのか、と感動したぐらいだ。


 構えて、むき合う。燕青は眼を凝らしていた。洪清の構えは、静かだった。ふっと、そこに引き込まれていきそうなほど、静かだった。
 燕青は近づき、洪清の躰をそっと地に横たえた。洪清はかすかに笑っているような表情をしていた。
 「失礼なことを申しました。老いておられるなど、とんでもないことでした」
 洪清は、相変わらず微笑んでいた。開いたままの眼を、燕青は指先で閉じた。


それにしても袁明を追い詰めた時に悠長に会話をしている公孫勝が笑えるんだが。今まで徹底的に冷酷非道な致死軍だったのにこんなときだけ会話をする余裕を与えるとは。北方世界じゃなかったらあばよとっつぁーん!とかなんとかいって逃げるか、会話をする余裕を与えたのが命とりだったな!とかいいながら懐から出した剣か何かで公孫勝が殺されているところだ。

ただ北方水滸伝ではそういった事は起こらないのだろう。
追い詰められた時に最初に発した袁明の言葉が、「長い、闘いであったな、公孫勝」というのはかっけぇなぁ。


 「冷たい喋り方をするのう。癒せぬ傷でも負っているのか、公孫勝?」
 「生来のものです」
 「いい国を目指せ、公孫勝梁山泊が、そうやって闘えば、宋もまたいい国になる」
 「袁明殿、おさらば」
 剣は、たやすく袁明の胸を貫いた。

しかし中国の古い歴史といえば暴君を抱えて国がどうやって生き残るか、という話が圧倒的に多い気がする。あるいは名宰相が国を立て直していく話か。

宮城谷昌光の作品はほとんど読んだがそこからの影響を受けているだけかな。この宋という国も君主は割と最悪な感じだがそこが語られる事はほとんどないな。