感想 ネタバレ無
どこが、とはいわないが雰囲気がガラっと変わった印象を持った。完全に水滸伝とは別物として考えた方がよさそうだ。今までの話が、原典があるゆえのどこか予定調和的な世界だったという事から解き放たれたからかもしれない。
全く別の視点で持ってこの作品に望む必要がある、と思った。どこが、とはうまく説明出来ないが、作品が全く違うように感じるのだ。
ハードカバーなのだが、この表紙に書かれているムサい男が楊令なのだろうか・・・。
どうみても二十一歳じゃない、少なくとも三十は超えているおっさんに見える。
火傷のあとがあるから間違いないのだろうが、イメージを崩されたという気持ちが強い。絵でイメージを崩されたといえば、何よりひどいのは扈三娘である。絶世の美女、というような設定で書かれているにも関わらずあの絵! なんだありゃ?化け物か? 昔の中国はああいう女性が美人だったんです! といわれたら全く反論できないが。 いや、かといってもっと現代風のかわいらしい感じの、萌えという感じではないんだけどそれでも現代風にデフォルメされた絵を書かれても正直かなりがっくりきただろうからどうしようもないといえるかもしれないが・・。それから史進の絵もひっでぇ・・・。なんか剣二本持ってたっている姿、服装もあいまって変態にしかみえない。ていうか史進、武器棒なのに何で君剣をもっとりますか。
一巻である。これでもかというほど一巻でもある。物語は所詮まだプロローグである。北斗の拳だったら、19XX年、世界は核の炎に包まれた・・・とナレーションが入ったところである。まだまだこれから。楽しんでいこう。今回の全十巻という構想ははたして守られるのだろうか。
しかし、水滸伝を読んでいる間からずっと気になっていたのだがこいつらいったい何歳になるまで闘い続けるのだろうか。ひょっとして、闘うという行為については基本的に年齢はあまり関係ないのか? 老いで弱くなっていくというのはもちろん当然あるのだけれども、こいつら現役で闘い続けすぎなような・・・。史進とか、君何歳だよ、オリンピック選手だったらとうに引退してるよ。
林冲が確か四十代半ばだったから、史進は三年たった現在、もうすぐ四十代に入るところか? おっさんじゃないか、そろそろ引退したらどうだ? というか林冲、四十すぎてまだまだ駆けまわってるって結構凄いな。自分四十すぎてそんな駆けまわる自信ないっす・・。
王進も何歳だかわからん。少なくとも林冲よりは歳上だろう。ってことはもう五十超えてるんじゃないか? 五十超えてなお武道に励んでるのか・・・。まぁ塩田剛三もかなり歳がいってからもずっと武術を極めようとしていたようだし、あながち特別なことでもないのかもな。
感想 ネタバレ有
まだ王母様が生きている事に驚愕した。多分今七十超えたぐらいではなかろうか。まぁ生きてるか。それぐらいだったら。健康的な生活をしているみたいだし。そしてもっと驚いたのが、張平が思いのほか強くなっていることである。
あまり武の方面を強調されていなかったので、たぶん武術の才能はないんだろうな、と勝手に想像していたのだがとんだ思い違いであった。
張平と立ち会った時の花飛麟のセリフは小物すぎる。
「まさか。虎でもかわせなかった、私の打ちこみを」
かませ犬のセリフテンプレートなんてものがあったら確実に入っていそうだな。
「私は、弱い。弱すぎる。馬麟殿の言う通りだ」
花飛麟の慟哭。こうやって自分の弱さを嘆くような男の描写に弱い。
こういうところは前の水滸伝と変わっていない。自分が弱いという事を自覚することが、強さへの第一歩である、みたいな。
この楊令の苦しみ、みたいなものはある意味王道的展開であるともいえる。過去を受け入れるために苦しむ万能主人公というような構図。ただ水滸伝そのものも充分に王道的展開だとは思っていたが、どうも方向性が変わってきているように感じられる。たぶんそこが、水滸伝と楊令伝が全くの別物だと感じた元だとは思っているのだが、よくわからない。
一つ気になったのが、呉用の存在である。呉用が生きていたことにもびっくりだが、その呉用に関するエピソードが多すぎる。これはひょっとしてあれかな、死亡フラグってやつかな。水滸伝じゃ五巻で楊志が死んだ。十一巻じゃ晁蓋が死んだ。どうも定期的に重要な人物を殺していく傾向がある。
全十巻を予定されている楊令伝だ。二巻か、三巻あたりで呉用を殺してくるかもしれない。それも反則的なやり方で。みんなの憎まれ役をかってでながら、実は誰よりも梁山泊の事を考えていた、みたいな死に方で。それが出来るのは今のところ呉用しかいないのではないか。
くどいほど呉用は確かに重要な存在だったが、今はもう用済みでうるさいだけだ、みたいな事をいろいろなキャラクターに語らせる。これが死亡フラグじゃなくてなんだというのだ。しかし痛いのはこっちの心である。呉用がどれだけの貢献を梁山泊にしてきたかを読んで知っているだけに、今こうして厄介者扱いされている呉用が不憫でならない。
燕青は、腰を降ろした状態から、侯真の頭上を越えるように跳躍した。
なっ!?座ったままの姿勢!膝だけであんな跳躍を! どこからどう読んでもJOJOである。
しかしこいつら、子供世代が大勢でばってくんのはいいんだが、子供だからっていって出来がいいのはどうかと思うぞ。秦容も多分これから梁山泊入りするだろうし、花飛麟、侯真は言わずもがな、どいつもこいつも子供だからっていう理由で強すぎる。
もっとなんていうかこう、宮崎駿に対する宮崎五郎みたいな存在はいないのか? ああ、いるけど活躍しないから書かれないのか、ってまだ一巻やんけ! 批判するのはやすぎるやんけ!
秦容と花飛麟のコンビはこれから先あるのかなぁ、あったら最高だが。往年の秦明、花栄の名コンビ復活であるな、子供で。そんな展開になったら泣くわ・・。
童猛の活躍というか描写が結構されていたが、どうも替天行道に書いてあった
童威と童猛は区別がつかんので、どちらかを殺してしまいましょう。
のセリフが頭に浮かんできて、ここに書かれていたのはひょっとしたら童威だったかもしれないと思うと悲しいやら不憫やらでもやもやした感情がわき起こってくるわけである。こいつ、コインの裏表のような運の要素で生か死か決められたキャラクターなんだなぁと想像すると悲しくなってくる。いや、実際には違うかもしれないのだけれどね。