基本読書

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三国志 八の巻水府の星/北方謙三

感想 ネタバレ有

周瑜の死がついに訪れた。ここまで死亡をにおわせる描写だらけだったから当然かもしれぬ。それにしても呉軍の武将は早死にである。ただ、孫権は長生きするはずである。少なくとも劉備よりは。

ここまで周瑜の存在が大きなものになるとは、読み始めた当初は思いもよらなかった。北方三国志内部だけでいえば、周瑜は水軍を強化し、孔明に張り合うほどの軍略を見せ、世紀の大決戦である赤壁の戦い曹操軍を破った。まさに三国志の豪傑に相応しい男として書かれた。素晴らしい。拍手を送りたいぐらいだ。

108人もいた水滸伝とは違って、充分な描写を与えられての死となった。この巻の前半部はほぼすべて周瑜一人のためにあったといっても過言ではない。108人のうち7割を殺す宿命を背負っていた水滸伝では出来ないやり方といえよう。それだけに一つの死が重い。

周瑜が死ぬシーンは全く涙が止まらない。比較的、泣くっていう感情は起こりやすい部類だろうが、その中でも漢泣きといっていいぐらいのいい泣き方だった。肝心の死ぬ場面だが、三国志を共通して言えることとして、やたらとかっこいいというか、魅せ方がちゃんとしているというか、まるで劇か映画がそこで終わるかのような、幕引きを思わせる場面や、セリフを残して死ぬ事が多い。
ようするにかっこつけすぎじゃね? と後で思い返すようなセリフか。だが面白い。

 「人は、いつか死ぬ。それは、誰もが知っている。いま、自分に、ということが信じられないだけだ。魂を売っても、生き延びたいという思いがある。いま、自分に、死が訪れようとしているのなら、雄々しくそれを迎えようという思いもある。不思議だな、口惜しくはない」

これから益州攻略へと向かう途中だ。もしこのまま死なずに益州にむかっていたらかなり劉備軍はきついことになっていたはずだが、孔明はその場合どうするつもりだったのだろうか。当然、策は考えてあるはずだと思うのだが。作中で周瑜が向かっていたら打つ手がないみたいなことをいってたが、まさかそこで終わる孔明ではあるまい。

 ざわめきが近づいてくる。軍勢だった。敵ではない、と周瑜は思った。しかし、味方でもない。顔のない軍勢だった。闘う相手を、捜しているように見える。
 戦が、人生だった。その軍勢にむかって、周瑜は声をあげた。戦に生きた。いまだ、敗北を知らない。

語る言葉がないな、これは・・・。周瑜が一番好きかも知れない。キャラ萌えの観点から見れば。何を書いてもウソっぽく見えてしまう事がある。あえて書くならばこの曹操のセリフだろうか。

 「華であったな、大輪の。しかし、咲いたら散り、枯れゆく華だったのだろう。冬に散り、春に芽を出す。それができないからこそ、見事な華だったのかもしれん」


まさに一代の豪傑。周循にその資質は受け継がれていないのだろうか。それができないといいきっているのならば、周循はダメなのかもしれぬが。そもそも解釈が違うのかもしれない。別に冬に散り、春に芽を出すっていうのが世代交代を指しているわけではないのかもしれない。ただ考えても仕方ないことではある。

孫権だけで呉を制御していくのは難しい。後年孫権が横暴な存在になって呉を滅ぼすのも周瑜がいればそうはならなかったかもしれぬと考えると面白い。