基本読書

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三国志 十の巻 帝座の星/北方謙三

感想 ネタバレ有

節目の巻でもある。巨星堕つ。

ついにここまで一線で闘い続けてきた曹操が死んだ。もう六十六歳だったから当然といえば当然。というかここまでやたらと昔話が多かったような気がする。曹操の場面のほとんどが、過去劉備孫堅と覇権を争い黄布軍百万を相手に戦った思いでだったり、過去の記憶を思い返してばかりだった。

過去の事を思い出してばかり、というのは歳をとると誰にでも起こる事だ、と心理学の勉強をしていた時に習ったが、はて、何故だったかな。どんどん忘れて行くからそれを食い止めようとして昔話をするとかそんな感じだったような。曹操も歳には勝てないという事か。もののふは、死んでいくというセリフはまるで詩の一部のようで染み入ってくる。確かにみんな死んでいった。周瑜も、孫権孫策も。最初からいた人間で死んでいないのは劉備だけか・・と考えてみたが、張衛がいるじゃないか。最初の頃は張衛の視点がよく挿入されていたが、いったいあれは何のための描写だったのか未だにわからない。そんなに大きな存在なのだろうか、張衛が。今も、もうどこかの山の中に入ってしまってその存在が確認できない。結局彼がやったことといえば自分の陣地にとじこもって闘っていただけだ。それもあっさりと破れておいやられている。いったいそんな人物を書く事によって何か得ることがあるのかどうか。実際読んでいる間も張衛の視点だけは意図がよくわからずにあまり面白くなかった。重要な人物というわけでもあるまい。馬超関係でこれから何か起こるのだろうか。ともかくまだ全部読み終わっていないのだ、とやかく言う事でもあるまい。

曹操が死んでいく時の心理描写が絶妙である。なんというか、読んでいるこっちまで老いてしぬのを全面的に肯定したくなってくるような文章なのだ。自分もきっと最後はこうありたいと思わせるあり方というか、あまりにも自然と死を受け入れていく曹操を読んで何も思わないわけがない。


 生きる気力をなくした、ということではなかった。明日を生きるように、明日死ぬ。生きることと同じように、死も迎えられる。心境を言葉で言えば、そういうことだった。


曹操が死ぬ前に見た光る蝶というのはいったいなんなのだろうか。単純にキラキラ光っているという状態を詩的に表しているだけかな。なにしろ章タイトルからして冬に舞う蝶だからな。冬に蝶はまわないだろう、たぶん。

安らかな死にざまであった。今まであんなに闘い続けてきて、最後はこんな死に方が出来るのだから運が良かったというべきか。本人からしたら戦場で死ねずになんてこったい! というところだろうが。一人一人の死が重い。

ついに関羽に引き続き、張飛までも死亡。まあここまでくれば後はほとんど予測出来る。次の巻で劉備が死ぬのだろう。そのぐらいの記憶はある。読んでいてぼんやりと思いだしたのだが一番最初に読んだ三国志は吉川三国志であった。あそこでは、張飛がむごたらしく部下に殺されたのだった。子供心に特大のショックを与えられたような気がする。未だにあのシーンだけは、文字ではなく感覚として覚えている。異常に生々しいのだ。部下に殺される張飛の描写が非常にいやらしくて、まるで火サスか何かのようで、これじゃ部下に殺されるわ、と納得してしまいそうな描写だったのを覚えている、いやひょっとしたら違うかもしれない。記憶を改編しているかもしれないが。全体的に生々しかったのだ。吉川三国志は、別に吉川三国志は人間がかけていて北方三国志は人間を書けていないというわけではないのだが、それでも北方三国志はリアリティを追及しながらも、どこか物語的な部分がある。いや、それは当然なのだが。うまく説明出来ない。張飛のキャラクターを劉備の代わりに出来ない事をやる役、というようにリアリズムを追及する一方で、関羽の最後のセリフ、 「関羽雲長、帰還できず」のように妙にかっこつけているところがあるという事だ。別に悪いことではない。

今までの豪傑達の死の場面と比べてやけに張飛の死の場面は大人しめだった。張飛の秘めた優しさというものが感じられるいい場面ではあったのだが。どこか物足りないと感じるのも仕方ない事か。いや、感謝せねばならないのは部下に殺される、というラストではなかったことだ。三国志演義正史三国志の違いもよくわかっていないので、どちらに従っているかで張飛の最後も違ったものになるのかもしれないが、張飛が部下に殺されるなんていう最期を読まずにすんで本当に助かった、と胸をなでおろしたのが本当のところだ。

今まで何度も繰り返し書かれてきたように劉備の感情が最高潮に達した。最近劉備がぶち切れる、という描写がなかったのでついにここでぶち切れて、張飛がいなくなり誰も代わってくれるものがいないまま呉まで突っ走るのかと思いきや、そうはならなかった。いや、呉まで突っ走るのはその通りなのだが。思いのほか冷静である、劉備玄徳。


 大兄貴、小兄貴と、あのころのままの呼び方を、張飛はしていた。もう、大兄貴と呼ばれることもなくなった。兄上、と関羽が言うこともない。
 怒りがあるのかどうか、劉備は自分でもよくわからなかった。叫びだしたくなるような怒り、全身をふるわせる怒り、そういうものはない。心の芯になにか硬いものがあり、そして自分が何をやるべきかということが、はっきり見えているだけだ。
 自分がやるべきことが、これほどはっきり見えたということは、いまだかつてないことだった。不思議な事だが、劉備は、自分がいまひどく充実していることに気づいた。益州を得た時よりも、漢中から曹操の大軍を打ち払った時よりも、劉備は充実していた。


あるいは限界を超えてぶち切れたせいで逆に冷静になったとも考えられる。というか読んでいる限りそうとしか考えられない。完全に怒り狂っているといってもいい。