基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

三国志の英傑たち/北方謙三

何を目的としているのかはあいまいだが、恐らく北方謙三が語る三国志の英傑という枠組みで大体あっているだろう。


主に正史と演義の話をし、その中で北方謙三自身が一体何を考えて自分の作品に反映させていったかが書かれている。
また戦術の解説であったり三国志をどのように解釈したか、なども書いてある。


180ページしかなくてかなり薄い。またもう一冊、三国志読本というのも出ている事を考えるとこれらを別々にした意図がちょっと読めない。まぁこっちは三国志全体の話として書かれていて、三国志読本の方は北方三国志に主軸を置いて書かれているのではないかと思うが、よってこっちでは三国志全体の話に対する感想を書こうと思う。


悲しいのは張衛である。結局この読本に、一度として名前が出てこなかった(たぶん)北方謙三にすら忘れられてしまったのだろうか。というか張衛の存在にこんなにも固執しているのは自分だけなのだろうか。



北方三国志で一番良かったのは、誰が悪だとか、誰が正義だとかそういった書かれ方をしていなかったところだ。単純に戦争が悪だという決めつけもない。本当の戦争の話をしよう、でも書かれていた事だが、戦争という物を書いた時に、教訓的になるものは正しくないと言っている。それプラス苦労だけを強調しない。というところも、あると思う。なにしろ乱世である。苦労などいくらでもある。苦労を書こうと思えばいくらでも書くことが出来る。大軍を擁するが故の苦労も書きつつ、戦争をやっている以上ある種の高揚感もあるはずなのである。敵を倒した時におっしゃぁ!と思ったり、敵を策にハメた時にほくそえんだり、仲間との語らいが楽しかったりである。曹操なんて、戦が好きでしょうがないみたいに書かれているのに不思議と悪役という感じではない。思うにそういう事がしっかりと書かれていたことも、面白しいと感じる一つの要因だったのではないか。



桃園の契りは普通に考えておかしいから削った、と書かれているが、確かにその日に出会って俺たち兄弟だよなっ死ぬ時は一緒だぜ!と誓い合うというのはおかしな話である。言われるまでそんな事を考えてみてもいない自分の愚かさというかなんというか。この三人の北方三国志における兄弟の契りというか、それだけに留まらない絆の書かれ方は独特のものがあった。


それにしても関羽張飛、一万人を相手に一人で闘っても負けなかったといわれていたとか、それはもはや人間じゃないな。しかも呂布はそれを二人相手にしてなお負けなかったのだから、呂布は二万を相手にしても負けないという事になる。これは二百ファンタジーぐらいであるな。

  • 呂布──時代を駆け抜けた戦人


不覚にもこの章を読むまで、呂布の存在を半ば忘れていた。死んだのが三巻と早すぎたのだ。ことあるごとに回想で呂布の騎馬隊を思い出す、と書かれていた事もあったが、それも九巻を超えたあたりから無くなった。過去の英雄の座はその時から呂布から周瑜に移り変わったからだ、と思っている。それにつられて読んでいるうちに呂布の存在を忘れていた。だが今こうして思い返しても震えあがるほど、北方謙三が書いた呂布はかっこよかった。それはもう並び立つものがほかの小説をあわせても思い当たらないぐらいだ。漢というものを突き詰めた存在といってもいいぐらい、それぐらい鮮烈な存在だった。


呂布の誇りが敗れざることだったのと同じように、周瑜もそういえば負けを知らずに死んでいった。この二人を対比してみても面白いかもしれない。曹操孔明もどこか似ているところがあった。周瑜呂布も負けなかったが、どちらも早死にだ。歳としてはどうかはわからないが、呂布の死はまだ完全な乱世の中で散っていったし、周瑜も長生きとは言えまい。よく負けた曹操が六十を超えても生きていて、孔明も五十四まで生き延びた事を考えると、生きるためには負けないということよりも、負けた後どうするか、というほうが重要なのであろう。そりゃそうだ、一生負けないなんてことが簡単にできるはずがない。


何度でも書きたいぐらいなのだが、呂布のかっこよさは異常なのである。かっこよさというものを体現しているとでも、思い返している今は思う。ただ読んでいる最中は、もう何が何だかわからずにただ呂布という存在を読むのが楽しくて、それだけに執着していたといっていい。何かほかの事を考える余裕というものはなかった。たとえば何故かっこいいのか、いったいどういう描写が、これほどにかっこよさを引き立てるのかなどなど。かっこよかったのは覚えていてもいったいどういったかっこよさなのかがまるで思い出せない。というよりもうまく説明出来ないだけだが。思い出せないというよりは覚えているけれどもうまく表現できないといった方が正しいか。


孫堅は一巻でいきなり死んだためそれほどの思い入れはない。ただ孫策にはある。思えばこのころの周瑜といえば、孫策についていくのが精いっぱいでとてもとても一国を背負って果断な決断をして、後年赤壁の戦をするような度量のある人間にはとても描写されていない。決断力という面では、孫策の方がよほどすぐれているという書かれ方だった。


それが、いつのまにか孫策が乗り移ったかのような果断な決断をする人間に変化していた。この辺は今考えると微妙に違和感である。いや、孫権を補佐している間に自分が孫策の役割を果たさねばならないと考えたのかもしれないが。そして赤壁の戦いである。思えばここが北方三国志の一つの沸点であったと考えている(あくまで自分にとってである)それ以降はまさに消化試合という印象であった(自分にとって)赤壁の戦いの何が魅力かって、そりゃあげればキリがないのだが、一つだけあげるとするならば寡兵である呉が大軍を擁する魏をぼこぼこに打ち負かし、今まで完全に優勢だった曹操が命からがら逃げ出すという逆転ストーリーであろう。


孫権が、反対を押し切って赤壁の戦いに挑むと檄を飛ばす場面がある。北方三国志最終巻にその孫権の面影はなかった。いや、実際は変わっていないのかも知れんが。どんどん保守的になり合肥にこだわり自国を豊かにすることだけに腐心した。それに陸遜などが目立つ反抗をしなかったのは、あるいは赤壁の戦いに挑む果敢な孫権を見ていたからかもしれない。あのとき誇りを捨てるなといった時の孫権は凄まじかった。


夢を持って生きた最後の男が孔明だったとして、孔明が死んだから三国志に幕を下ろしたと書いているが、姜維がいるじゃないか。ここまで激しい男はいないだろう。孔明なきあとの蜀で、もう攻める気力を失っている蜀軍の将校たちの中ひたすらに魏に攻め込もうとした姜維に夢が無かったとでも言うのだろうか。孔明の夢は劉備から受け継いだものといえなくもない、そしてそれを孔明から受け継いだ姜維に夢が無かったとどうして言えるのだろうか。そこだけは断固として納得がいかないところだ。

  • 総括


やはり凄いのは三国志自体が持つ魅力である。読んでいてどうしても味方をしてしまいたくなるのは蜀であるが、どの国にもそこの特色というものがある。さらにその中でも魅力的なキャラクター。 曹操なんて、何度勝算のない戦いに挑んだかわからない。袁紹三十万に対し十万で挑んでおきながら、ほとんど無策というそのアホさ、ただそれでも勝ってしまう運の強さ、蜀の劉備関羽張飛の絆、呉の孫家と周瑜。圧倒的な強さを誇る呂布


何故蜀に感情移入したくなってしまうのだろうか。消去法で考えるという手もある。魏は大きくなりすぎ、呉は陰湿であると考えると蜀しか残らない、そういう考え方も出来る。また魏の臣下が地味に信頼できない、駆け引きが行われるような緊迫感のある描写と対比して、蜀軍はまさに義によって集まっているという感じで臣下同士の争いがほとんど無い。加えて寡兵である。そういった点すべて合わせてついつい蜀を応援したくなってしまうのだろうか。しかし自分、野球は常にその年の強いチームを応援するし、その論法でいったら魏を応援するのが当然というきもするのだがはてはて。

まぁいい。まだもうちょっとだけ三国志は続く。