基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

スローターハウス5/カート・ヴォネガット

あらすじ

 これは失敗作である。そうなることは最初からわかっていたのだ、なぜなら作者は塩の柱なのだから。それは、こう始まる──


   聞きたまえ──
   ビリー・ピルグリムは時間のなかに解き放たれた。


 そして、こう終わる──


   プーティーウィッ?


感想 

一番最初の文章がまえがきじゃなくて本編だと思い込み、これはいったい何を暗示しているのだろうかと真剣に悩む。まぁその誤解はすぐにとけるのだが。


いつも通り特に何の前情報ももたずに読み始めたのだが、SFの皮をかぶった文学であった。反戦小説かそうじゃないかなんてしらないが、まぁ反戦小説を読んだから戦争なんてやめよう、なんていうようなやつはたいがい戦争肯定小説を読んだら戦争を肯定するに違いないのだ。もし仮に本格的に戦争肯定派の人間に、反戦を訴えたいのなら実際戦争に行かせて実体験でもさせるほかあるまい。本末転倒である。


直接的な表現で、戦争はいけないものだ、なんて一言も書いていないところがいい。特にそれが悲惨だということもかいていない。戦争の描写の中で登場人物もそういったことを一言もしゃべらない。理不尽だとも言わない。ただ、そういうものだ、というだけだった。そういうものだと言われたらそういうものだということにするしかあるまい。そして実際そういうものなのだろう。ドレスデンの無差別攻撃で大量に死んだ人はそういうものだし、ティーポットを盗んだ罪で処刑される男もそういうものだ。つまるところ戦争とはドレスデンで十万を超える人間が死ぬこともありえるものであって、広島で何万人もの人間が死ぬことであって、その他大勢の人間が死ぬことであるというただそういうものだった。これを反戦小説ととらえるかどうかは読む側の感情によるだろう。もしそれが残酷でひどい事だと考える人間が読めばこれは反戦小説になるし、そんな事は戦争があるのならば当然だという考えなら別に反戦小説にはならないだろう。


そういうものだ、という言葉が何度も出てくるが特に名言というわけではなかろう。この単語自体特に意味を持っていない。状況とつきあわせて初めて意味の出てくる言葉だろう。あるいは本当の名言というのは意味を持った言葉などではなくぼんやりとしてとらえどころのないこういう言葉のことなのかもしれない、知らないけど。


この知らないけどっていうのは語尾につけておけばどんな責任も回避できる素晴らしい言葉である。ひょっとしてこれこそが名言ではなかろうか。


あらすじに書いた文章で、まえがきが終わり本編が始まるのだが、すでに引き込まれたといっていい。心地よい文章じゃないか。プーティーウィッ? 意味は、わからないけれども。鳥の鳴き声なのか?

時空が飛びまわるようにして展開するこの小説は、全編を通して一つの言いたい事を伝えているにすぎない。と思う。←予防線

 トラルファマドール星人は死体を見て、こう考えるだけである。死んだものは、この特定の瞬間には好ましからぬ状態にあるが、ほかの多くの瞬間には良好な状態にあるのだ。いまでは、わたし自身、だれかが死んだという話を聞くと、ただ肩をすくめ、トラルファマドール星人が死人についていう言葉をつぶやくだけである。彼らはこういう、''そういうものだ''。

でもそれって時間っていうものを俯瞰的に見られるトラルファマドール星人だけであってただの人間であるビリーさんにゃ出来ない話なのでは・・・とずっと思っていたのだが、ビリーさんは何故か時空を移動する能力を持っているからしょうがないのだろう。というか、トラルファマドール星人は好きな時に、好きな時間を再生できる能力であって、ビリーさんはランダムに時間をすっとばされるだけだからかなり不便な状態なのではないだろうか。トラルファマドール星人が自分の好きな時間に存在する事が出来るのは確かだが、それで自由に活動できるのかどうか。いやしかしランダムに時間をふっとばされるだけじゃなくて、繰り返しの記憶を持って行動できるのだから結構悪くないのかもしれない。しかしそれで未来が全く変わらないというのはおかしな話だ。タイムパラドックスだ! 雷電! ビリーさん考えてみると、飛行機が墜落していてもたった一人生き残ったり、遥か彼方の異星人の星に誘拐されたり、ドレスデンの戦場を生き延びたり、なかなか幸運な男である。
行動出来ないという点を除けば、ラギッドガールの直感像的全身感覚と同じである。それから森博嗣の四季に出てくる真賀田四季の能力と同じか。確かに過去を当時と全く同じ質感で再現できれば時間なんていうものは全く意味が無いものになってしまう。

 いちばん残酷な死刑は何だと思う、と彼はビリーにきいた。ビリーには想像もつかなかった。正しい答えは、つぎのようなものである。「砂漠の蟻塚の上に人間をあおむけにして縛りつけるんだ──いいか? やつのキンタマとチンポコには蜂蜜をぬる。それから目蓋をきりとって太陽しか見られなくして放ったらかしにしておくのさ、死ぬまで」そういうものだ。


いちばん残酷な死刑っていうフレーズを今までいろんな作品で聞いてきたがそのどれもが違うやり方だったのはきのせいではないはず。いやでもこの死刑方法はやだなぁ・・・。キンタマとチンポに蟻が群がってなおかつ眼は太陽でじりじり焼かれているんだから。要するにこういういちばん残酷な死刑っていうものを全部集めて一度にやったらそれがいちばん残酷な死刑になるのではなかろうか。おそらくとても滑稽なものになるはずである。


主人公がトラルファマドール星で動物園に入れられて、見世物にされているのは読んでいて面白かったなぁ。笑える面白さ、というのともちょっと違う。勝手にそこに皮肉かジョークを見いだしたのかもしれない。とにかく、面白かった。あぁ、なるほど、そのために地球から連れてきたのね、という面白さでもあり、実際に想像したらなかなかシュールだということもあるし、うむ、よくわからんな。


ドレスデン爆撃のエピソードについての話が、そこらじゅうに溢れかえっていたから、実際のその場面の描写をとても楽しみにしていた。だが、実際の空襲の場面はほとんど描写されていなかった。それこそ呆気ないくらいに。え、描写なんてあった?ぐらいの呆気なさである。ほとんどはドレスデンの爆撃が起こる前に何があったかと、それから起こった後に何をしたかだけである。その最中の事は驚くほど書かれていない。大量虐殺を理性的に語る言葉は存在しない、というただそれだけの話なのかもしれない。

 「今日は平和だ。ほかの日には、きみが見たり読んだりした戦争に負けないくらいおそろしい戦争がある。それをどうこうすることは、われわれにはできない。ただ見ないようにするだけだ。無視するのだ。楽しい時間をながめながら、われわれは永遠をついやす──ちょうど今日のこの動物園のように。これをすてきな瞬間だとは思わないかね?」
 「思います」
 「それだけは、努力すれば地球人にもできるようになるかもしれない。いやな時は無視し、楽しい時に心を集中するのだ」
 「ウム」と、ビリー・ピルグリムはいった。


戦争は起こるから無視を決め込んで楽しい事が起こるのを待とうっていうことだ。いやなことは全部忘れて楽しい事だけやればいいじゃないっていうゆとりまるだしの発言でもあるが、一面の真実でもある。まぁいやなことを忘れてもそれは忘れただけで存在しているのだからいつかのしかかってきて楽しい事も押しつぶされてしまうとは思うのだが。