基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

プリズム/神林長平

エピグラフ

 あなたがいて
 
 わたしがいる

感想

読んだ瞬間に電流が走った。念のため書いておくと別に電流に足が生えて走り出したわけではない。もう一つおまけに念のため書いておくと別にこれはまじめにいっているわけではない。


理由はわからないが単純に面白いといえる作品は非常に困る。何を書いたらいいのかわからない。いつもだったら面白いと思ったことをそのまま書けばそれでいいのだが、面白いとは思ったのだが具体的に何が面白いかとあげることができない。夢枕獏の場合と非常によく似ている。他の神林長平作品とも、明らかに一線をかくしている作品である。何故か神林長平作品は、凄く好きになる作品は、一行目から世界に入り込む。今宵、銀河を杯にしてと膚の下も、一行目から飲み込まれていた。念のため書いておくと実際に飲み込まれたわけではない。


このプリズムでいえば、その最初の一文はこう始まる。

 
 堕天使に出会ったことは誰にも言うまいと少年は思った。


そそるではないか。いきなり堕天使である。真面目にその単語を聞く時が来るとは思っていなかった。それでいて作品世界は、機械に支配された純SF的世界観であった。そこに何故か、堕天使とか、黒と青の王とか、闇の王とか、紅の戦士とか、まるでどこかの純正ファンタジーから抜け出してきたような単語が乱発される。さらには、その緑の悪魔とか青の将魔とかが、創言力とか創想力とかわけがわからない力で闘うのである。滅茶苦茶面白いじゃないか。さらには第三の世界から、想いの力が全てを支配するのだ、とかいうわけのわからんやつが出てきて想いの力で闘うのだ。もう意味がわからない。


機械が支配する世界と、神々の世界と、おとぎ話か何かみたいな、色の妖精がいるほのぼのとした世界の三つ巴だ。このアホな構図が面白い。さらには、機械が支配する世界というのが何もかも、空に浮かんでいる中枢コンピュータが制御しているというのだから凄い。しかも機械、非常に思考が人間的である。というかコンピュータの思考を書かせたら神林長平の右に出るやつはいないのじゃないか。単純にリアリティがあるとか言う話ではない、リアリティとか言いだしたらむしろ皆無である。神林世界のコンピュータは自己保存の意識に目覚め死にたくないと必死に抵抗する。矛盾が見つかれば焦るし、割と残酷だ。シンプルに面白いぞ。


そういえば、太陽の汗を読んでる時に思ったのだが、神林長平の書く会話というのは簡潔だ。どちらかといえば短い文節の会話が多い。といってもほかの作品と比較して感じたわけではないが。なんとなく思っただけだ。実際に声に出して読んでみても、違和感がないレベルの長さのセリフしかないように感じた。たまにあるのだ、こんなに長いセリフ実際には声に出して読めねぇ、というような長さのセリフが。


しかし三原色の理論からいったら、黒と白が一番強くて、赤と黄色と青がその次に強いのではなかろうか。とちょっと読みなおしてみたが、やはり黒が一番強くてその次に青と来ている。たぶん。緑のなんちゃらが青の将魔に勝てないのは当然といえる。白のなんちゃらとかいうやつは出てこなかったな。いるのかいないのか。結局機械がいいようにあしらわれるだけで緑と青の戦いだけになってしまったのは残念といえば残念だがそんなことは問題ではない。青に必死に抵抗する制御体の描写は意味がわからないぐらい面白かったし、制御体から分離させられたTR4989DAが必死に生きようとする描写には心を打たれるし、制御体から無視されながらも、必死に生きて結局なんかすごいやつだったことが判明して町を破壊しまくって別世界に逃げる少年の話は痛快だ。


ただ、最後の三つの短編?のような、おもに紅の戦士をあつかった話は蛇足のような気がする。実際その前で、一行目からずっと感じていた面白くてしょうがないという感覚が消えてしまった、何故だかはわからないが。あの面白くてしょうがないという感覚を生み出していたのは制御体の存在なのではないか、と勝手に推測する。自分で自分を分析しなくてはならないというのはなかなかおかしな話だが。


制御体が出てくるたびに、何故か底知れぬ面白さを味わっていたような気がする。確かに過去どの作品でも、神林長平が書いたコンピュータの自意識というものの描写が好きで好きでたまらないのだ。これはいったいなんなのだろうか。特定の作家の特定のことを書いた部分だけが好きというのはなかなかわかりづらい。今宵、銀河を杯にしての戦車が大好きだし、雪風が大好きだし、制御体もTR4989DA大好きだ。これは俗にいう機械萌えだろうか。もっと複雑にいえば神林長平に書かれた自意識を持った機械萌えだろうか。

 「人間が創ったものなど、この世にはなに一つないのだ。コンピュータも制御体も、人間でなくとも猿にでも、造ることができる。偶然できることだってあり得るのだ。たまたまエスクリトールがおまえたちに言葉を与えたから、それら機械を効率よく造る手段があったというだけのことだ。おまえたちが真に創造したものなど、この世には一つもない。それらはもともとこの世にあったにすぎない。言葉が予言したものが実現したにすぎないのだ。すべてはエスクリトールがここに来たときからあったものだ。おまえたちが造るものは、ひとつの物体が別の形に変わっただけのものだ。それは創造ではない。制御しただけのことだ。おまえたちはわたしには勝てぬ」

なんかRPGのラスボスのセリフを聞いているようだ。この猿にでも出来るっていうのは、猿に適当に文字を打たせたら、天文学的な低い確率になってしまうがシェイクスピアの戯曲が書けるということだろうか。どんなにおまえらが凄いものつくったって、そんなの猿にだって時間をかけりゃ作れるんだよバーカっていう割とひどいことをいっているのか。だが、基本的に物語の世界では先に、おまえでは私にはかなわない的な発言をした方が最終的に負けるという超理論が存在するからこいつは負けてしまったのだ。油断した瞬間! こいつの負けは決まっている!


ふむ、まだ何かあったような、なかったような。ここらで終わりにしておこう。