基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

Self-Refrence ENGINE/円城塔

あらすじ

なんでもあり


感想 

帯の推薦文が、飛浩隆神林長平という、日本のSF作家の中で三人選べといわれたら確実に入るであろう二人である時点ですでにわくわくが抑えられなかった。これで駄作なはずがあるだろうか。いやもちろんあるだろう。何しろ推薦文なんてのは普通自分から書かせてくれというものではなく、普通は出版社からの依頼か、もしくは作家の希望を一応きいて、出版社を通して話が行くはずだ。まさか読んで、面白いから解説文を書かせてくれなんていうことにはならないだろう。いや、実際のところなんて知らないのだけれども。


だが実際に面白い。ただ説明するのは難しい。面白いと一言書くのは単純だが面白いという単語が日常に溢れかえっているのはそれがあいまいな意味だからであって、とりあえず面白いといっておけば大丈夫だろというような安易な発想から逃れ得ない。


読み始めた最初はいったいこれは何の深淵なる物語が始まったのかとびびったものだったが、深淵なのかどうかすらもよくわからなかった。小難しい理論をこねくり回し、いったいそれが深淵なるストーリーにどう結びついてくるかを、ほとんどの評価基準にしている自分にはひょっとしたらこれは全く合わない小説なのではないかと読んでいる最中に考えた。だが途中で恐ろしく単純な事に気がついた。推薦文に書いてある文章をよく読むと、神林長平はこの本を人生にたとえ、人生には深遠なる意味などない、人生の価値は、その意味云々ではなく、その充実しためっぽう面白い過程の中にあるという、これはそういう小説だと言っている。本書を読み始める前に読んだ時は意味がわからなかった。また飛浩隆はこういっている、SFファン同士の愚にもつかないバカ話と。


ひょっとしてこれは一連のストーリーに期待するものではなく、いかにむちゃくちゃな事をやらかすかということを楽しむ小説なのではないか、と気づき、これはギャグなのかギャグじゃないのか、意味があるのか意味がないのか、という思考をかなぐり捨てて割り切って全てギャグでバカな話である、と結論づけて読み始めれば、価値観が一変する。フロイトが地下から出てくるとか、バカボン世界並に簡単に銃をぶっ放す少女が出てくるとか、そういったのを一応納得させるためにあんな小難しい世界観を作っただけでそれには結局そういうものなんだよ、という以外に意味なんてないのではないかと考えた瞬間から駄作から傑作に移り変わった。


その結果小難しい話は全てあーはいはいそれね、わかってますよわかってますよと全スルーして理解しようという努力を放棄し、シュールなギャグとして頭の中で置換し、最後のエピローグに出てきたSelf-Refrence ENGINEとかいうものも何やら難しいことをいっておりますがおつとめ御苦労さまです!とばかりに完全にスルーすることによってこの物語との接点を絶ったのである。さらにさらにその結果頭の中に残ったこの作品の評価というのは


もちろんこれはあくまで個人的な読み方であり、全部をギャグであるという読み方が邪道に他ならないこともなんとなく考えてはいるのだが、何事も人それぞれというものであろう。ひょっとしたら本当に深遠なる意味を秘めた物語だったのかもしれないし。SFというのは一行であらすじを説明すると滅茶苦茶面白そうに感じるものである。もしくは、タイトルだけでその創造力は喚起され、ぶっちゃけSF最大の楽しみというのは大量の本を目の前にして、さてどれから読もうかと舌なめずりをしている瞬間に他ならない、と勝手に思っている。難しいのは、たとえば面白そうに感じる文といえば、最後の方に書かれていた

 量産型リタと量産型ジェイムズの、血で血を洗う大戦争のお話。


一文だけだが滅茶苦茶面白そうに感じる。こんなのもある。

 巨大知性体群の期待を一身に背負って出撃する巨大亭八丁堀のお話。


こういったアホな妄想は、妄想しているうちや、こうやって単純な一文にしてしまっているうちは楽しいのだが、実際に物語として構成しようとすると多大なる努力が必要になる。話である以上一応オチはつけなくちゃならんわ一応話の筋を作らなくちゃいけないわなどである。結局そういった数々の制約をクリア出来ない物語は、いかにおもしろそうであっても書くのが大変だという理由から世に出る事はないのではないか。秋山瑞人も、ウンコマンだかパンツマンだか忘れたが、そういうのが主人公の話を書こうとしていたがいまだに実現していない。それどころか、あとがきでこういう無茶な一行あらすじ紹介をして、いずれこういう話を書きますといっておきながら一向に書かれる気配がない。
この本はそういう無茶な設定を、知識でもって無理やり形にしてしまったものなのではないか。そのせいで異常に難しく見えるようになってしまったかもしれないが、それはしょうがないことなのであろう。ただ、飛浩隆が書いていたように、SFファンのバカ話だとしたら、SFファンには好意的に迎え入れられるのかもしれないが、SFファン以外には全くウケないのではないかと。
まぁそんなこと心配するような必要はないのだが。幸いにも自分はにわかであろうがなんであろうがSFファンと言ってもいいぐらいだと自分では思っているので楽しむことができた。それでいいのである。


難しい話をわかりやすくしようとしているのかよくわからないが、喩え話がたくさん挿入されているが恐ろしいほどに分かりずらい。自分だけかもしれないのだが。そもそも難しい話を難しい話として読もうとしているのだから、わからないのは当然として喩え話ははたして必要だったのかという疑問がある。理解させたいのか理解させたくないのかどっちだ、という気分になった。喩え話わかりづれぇー。


一発目の短編から、銃を好き勝手にぶっ放す少女が出てくる。バカボンの世界じゃないんだからそんな好き勝手に銃をぶっ放されても困る。一発目だから、度肝を抜いてやろうと一番キャッチャーな話を持ってきたのかと思ったがその辺はよくわからない。というかキャッチャーてどういう意味だ。衝撃的という意味ならばフロイトが地下から湧いてくる話は一番衝撃的だといっていいが、あれが一番最初に来ていたらひく人がいたのではないか。というか一応話の流れて気にリタの話が一番最初に来たのは当然ということか。話なんてものがほとんど存在していないような気もするが。


イベントによってわかれた宇宙同士が、演算によってバトるとかいう意味のわからん設定があるが、どうしてバトっているんだろうか。読んでいる最中は細かい事を気にせずに、まぁ闘いたいから闘ってるんだろ、みたいな餓狼伝的なしょうもない論理的帰結を迎えて勝手に納得したのだがあらためて考えると何故闘っているのかわからん。どこかに書いてあっただろうか。闘わなかったら消滅させられてしまうのだろうか。


そういえば第一部と第二部でわかれているが明確な違いがわからん。第一部はおもにばらばらになった宇宙の中での人々の生活の話で、第二部は巨大知性体とかの規模のでかい話でわかれているとかなら簡単なのだが、NearSideとFarSideってのはいったいなにをあらわしてるんだ? 


特におもしろかった短編というと難しいのだが、Infinity、Contact、Yedo あたりは特に好きかも知れない。未来を過去を飛び回る戦闘機でもって戦っていたら、自分の機体が出てきたけどそれも敵とみなして殲滅するとかいうアホなオチのTravelingも好きだし、家がにょきにょきはえてくるGround256も好きだし、というか基本的にみんな好きなのだが。


Contactは、超知性対にたいして巨大知性体があわてふためくのが愉快だ。この辺のは神林長平に通じるものがある。いかりくるって憤死するとかまるで北方の武将のようでもある。って最近読んだものだから連想されやすいだけだが。というかこの世界観の巨大知性体は基本的にアホだな。


 巨大知性体群はこう考えた。我々はこの気の違った宇宙に対してあまりにも真摯に対応しすぎた。賢い奴らならそれでも構わないが、どうもこの多宇宙には自分よりもはるかに賢いものが有象無象に存在しているらしい。ならば対抗策は喜劇だと巨大知性体群は何故か結論した。知で勝てないならば笑いで対抗するのだ。 中略
 万が一彼らが我々に敵対してきたとき、何が役に立つかなどは推測できる領域を超えているだろう。可能なすべてのことに対応策を練っておくのは至極当然のこととして、その膨大な作業と並行して、とりあえず笑ってごまかすことを検討に入れようと提案したのがどの巨大知性体だったのか、八丁堀は知らない。ちょいと友達になれそうではあると思わなくもない。


まぁ悪い策じゃないかもしれないが友達になれそうではないな。

 「今のところ登場人物は俺、お前ぇ、ホトケしかいねぇ。俺は下手人じゃねぇし、ホトケは跡形も残さず仏になっちまった。だからお前だ」

なんと言う論理的結論。これ以上簡単な論理は存在しない。というか世界に三人しかいなくて一人が殺されたら犯人は自分以外のもう一人であるというのはそれはそうなんだが、状況と役者の特殊性もあいまって混沌としているという他ない。


Infinityは地味に泣ける。自分と全く同じ事を考えている自分と限りなく似た存在に向けて語りかける場面はなんというかしんみりさせるのう。しかも全く同じ事を考えているはずなのだから、心の中でこんにちはと言えばその無限に存在している自分に限りなく似た存在もこんにちはと挨拶をしているはず、というスケールのでかい話がしんみりさせる要因なのだろうか。というか単純におじいちゃんとリタのやりとりがしんみりさせるだけだが。おじいちゃん、あなたはあなたらしいやり方で、あなたらしい孫を得た。とかいうセリフ、卑怯だわー。

 わたしたちは、わたしたちではないものへ広がっていこうと決めた。
 なんといってもわたしたちは。
 おじいちゃんの孫なのだ。
 リタは頷き、無限に広がる平面の無数の場所で、無数のリタたちが一斉に頷いた。
 そうしてリタは、ひとりぼっちで立ち上がった。


時間がないので駆け足で書いてしまった、かなり適当だがやはり時間がないのでここら辺で。