基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

黒塚/夢枕獏

あらすじ
キリストがああああキリストがああああ
義経が吸血鬼になって世紀末覇者となる。

感想


アニメ化するというので読んだみた。 しかしこれはあれだな。アニメ化成功するかしないかでいったら、成功しそうなタイプの作品ではある。映像化したらいっけんキャッチャーな展開の目白押しである。というか、ひとえに言えるのは展開が異常にぽんぽんと進むのである。恐らく映像化とは相性がいいのではないか。少なくとも神々の〜をアニメ化したりするよりはよほどましだといえる。


夢枕獏には珍しく愛の物語である。女を書くのが苦手と公言してはばからないばかりか、それも俺の持ち味であると開き直ってしまっている分もうどうしようもない話なのであるが、女というものが書けているのかどうか、男の自分にはわからない。というかそもそも千年以上生きているやつを女と一言でいっていいものかどうか、もはやそれは妖怪ではなかろうか、それなら書けるだろう。


異常に分厚いが、中身はスカスカである。基本的に一行で改行するため、予想より何倍も速い速度で読み進む事が出来る。ちょっと読んでから別の事をやろうと考えていたら、そっちをほっぽりだして読むのを続けざるを得ない程の面白さがあった。序盤の展開と、中盤の展開と、終盤の展開があまりにも様変わりしていて、読み終わった時にあまりにもいろんな作品を読んだような気分になってちょっと驚いた。序盤による時代物のホラー地味た展開、それから中盤の突然あらわれたわけのわからないSF世界設定、そして最後の終盤、大どんでんがえしにつぐ大どんでんがえしによるわけのわからない決着、そして終了である。これは不完全燃焼だとしかられてもしょうがないような終わり方であるし、というか、終わらせ方絶対考えてなかっただろお前と叫びだしそうな終わり方ではあるのだが、それでも満足である。中盤のSF設定が出てきた時は思わず呆気にとられてしまったものだ。あれ、自分は確か義経とかが出てくる話を読んでいたのではなかったかな?としかも世界観がまるで北斗の拳そっくりであるのに笑ってしまう。義経に斬られて、手が無くなった事に気づき手が、手がぁぁぁとかいってあわてるのも北斗の拳そっくりであった。


そういえば自分、日本の歴史物には、坂本竜馬や、新撰組が大活躍する時代のものはむさぼるように読んだし、そのほか司馬遼太郎が書いたようなものは読んでいるのだが、織田信長徳川家康とかそういった方面は全く読んでいなかったのであるが、唯一義経だけはなぜか縁が深く、何作か読んでいる。三雲のカーマロカ(これは義経というにはちょっとおかしい)や、司馬遼太郎もかいていたかどうかわすれたがそれを読んだような気がする。ふむ、義経というのはひょっとして日本じゃ結構書かれている方なのだろうか。確かに弁慶のエピソードなどは魅力的だが。しかし不思議なのは、そのどれもが義経が人外の存在として書かれていることである。これは全く不可解という他ない。信長が魔王にたとえて語られるのはよく聞いた事があるが、それも魔王のような男だというだけであって、義経のように吸血鬼になったり気を操る武術家になったりしているわけではない。


断じて違うと思うのだが、本来の能の黒塚はきっとこんな話ではなかっただろう。いったいどこからおかしくなったかといえばどう考えても小惑星が地球に降ってきたとかいうとんでもな話からであろう。いったいなにをおもってそんなことをしてしまったのか。しかもその設定が妙に現実的だ。確かに小惑星が衝突したら、津波が起きて人間はそれだけで大量に死ぬだろうが、まだたくさん残っている。本当に怖いのは、それによって舞い上がった土埃で太陽が隠れてしまう事だ、と大絶滅にも書いてあった。恐らくそれで恐竜も絶滅したのであろうと。そして核が乱発され(このへんよくわからん)食うものが無くなって人が人を食うというひでぇ世の中になっていくのである。


しかも放射能の汚染でそうなってしまったのかどうかわからないが、動物とミックスされてしまった異人が大量に生まれる。犬人とか猫人とか、義経もそんな世界に放り込まれてかわいそうな男である。とにかくとんでもねえ話が多すぎて突っ込み切れないのであるが、不思議と面白い。笑える面白さというのともちょっと違う、バカなことを真面目にやっている面白さ(円城塔)とも違う、はてこれはなんであろうか。まぁ一番どうしようもねぇと思った設定は、キリストが吸血鬼の始祖であるという設定である。だから十字架に磔にされても復活したと。いや、そりゃキリストが吸血鬼だったらそりゃ死なないだろうが、さすがにそんな事を明確にキリストと明記したらキリスト教の人のお怒りにふれるからか、十字架に磔にされて復活した例のあの人と、かのヴォルデモート卿、名前を言ってはいけないあの人並に厳重に名前が伏せられているがバレバレである。最後、追ってから逃れた義経と黒蜜はキリストを追って行く、続編をほのめかすような展開になっているが、絶対にあり得ないであろう。


なぜならキリストと出会ったらキリストと名前を書かないわけにはいくまい。さらにいえば、弁慶が義経の血を思いがけずちょっとだけ飲んでしまって、それゆえ1000年の時を生き長らえたという設定にもちょっと待ったをかけたい。いったいどれほどの血を飲んだというのか、というか、それだけでいいのならば他にも血を浴びたやつはいるであろうといいたい。まぁいい。弁慶の、1000年の時を超えての弁慶の立ち往生しかと見せてもらったのであるから。一番最初、弁慶が義経の首を斬った時は何故こんなことに、とびっくりしたものだが、途中でオチが読めてしまった。弁慶程強烈なキャラクターが、一番最初に出てきてそれっきり出てこないなんて事があり得るはずもなく、中盤まで読んで弁慶が出てこなかったらこの中のどれかが弁慶だろうと考えるのは当然の帰結といえる。


執拗に繰り返される、私の部屋を決してのぞかないでください、というフレーズにはいったいどんな意味が隠されているのか。単に人の心には誰しも他人に見られたくない部分があり、そういうところをのぞいたら絶対に痛い目を見るぜベイベェーといっているのであろうか。結局最後の方で、黒蜜に決してきてはいけないといわれたところに、無視して行ってしまったのはむしろ事態が好転してるところをみると、非常事態につき相手の心に踏み込んでもいいということなのだろうか。


決してのぞかないでくださいという話、日本の昔話の鶴の恩返しで滅茶苦茶有名なわけだが、前振りと考えて大丈夫だろう。見るなよ!絶対に見るなよ! と繰り返し言われたら何も義経じゃなくたって見るだろう。現に義経、4回か5回か6回か、数はしらないがいたるところで見るなよ! 絶対見るなよ! と言われていることをことごとく無視している。しかもそのたびに痛い目にあっている。最後の黒蜜と赤帝の場合はしかし、事態は好転しているのだが、その前の事例では痛い目にあっている。これはひょっとして、勉強しない猪突猛進バカを推奨しているのであろうか。ひょっとして信じるものは報われるみたいな深いメッセージがこめられているのだろうか。一つ言えることは、見るなよ! 絶対見るなよ! と言われたらそれは絶対見ろといわれているのと同じ事で、むしろ見てあげるのが礼儀だということであろう。


まるで全編ギャグのように書いてしまったがそんなことはなくて、クロウが首だけになった瞬間だけしか過去の記憶を思い出せないとかいう設定は涙をそそるし、1000年越しの恋というのはキャッチコピーに最適だし、1000年以上追われ続けている二人の事を思うとたとえ寿命がなくたってつらいことはいくらだってあるのだなぁとしんみりさせられる。重要人物になりそうであったライが呆気なく殺されてしまったのはちょっと不完全燃焼であるが、アニメを見る気なんてさらさらなかったのにちょっと見てみようか、という気分にさせるぐらいには面白かったのである。相変わらずこの面白さがどこに所属している面白さなのかは、あいにく見当もつかないが面白かったのである。