基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

親切がいっぱい/神林長平

あらすじ

宇宙人がくる。


感想 


序盤は思ったより面白いぞ、と思い中盤で同じパターンの、というか延々と続く変わらない日常描写に飽きてきて、終盤でその変わらない日常というものも悪くないという気分にさせられる。


全く悪くない。いや、いい! 何もかも拍子ぬけ、だがそれがいい。息抜きにはちょうどいい。毒にも薬にもならないとはまさにこのことだ。SFコメディなどと銘打っているが、ドタバタというだけで特にコメディ的な要素が強いとは思わなかった。これをSFコメディといったら敵は海賊だってSFコメディになってしまうだろう。突拍子もない出来事が起きて、登場人物がわーわー言ってあわてふためく、といったドタバタにふさわしい内容、筒井康隆を連想させる、というと筒井康隆だけがドタバタSFの書き手みたいになってしまうがそういうことではない。そもそもドタバタという言葉の正確な定義がわかりづらい。


普通に言葉から連想されるイメージは、なんだかハブニングがおこったわーわーと慌てふためきながらも問題解決に向かう、という感じ。そのイメージでもってドタバタ、と使っているのだがどうもしっくりこない。


多数のキャラクターが、ハプニングに対してむちゃくちゃな対応をするのだが、いっけん支離滅裂な行動を全員がとっているかのように見えて、その実一人一人確固とした論理的な行動しかとってない。ドタバタだからといって、滅茶苦茶な行動を起こさせればいいわけではなくて滅茶苦茶なら滅茶苦茶なりに論理性が必要ということか。


ドロボウもヤクザも全部国が公認の職業として認めてしまえば万事解決!めでたしめでたし! みたいな社会だが、公認があるならば認められない職業が当然生まれるはずで、公認ドロボウになってしまってからドロボウのプライドが無くなったと嘆くぐらいならば、公認なんか関係なしに好き勝手にドロボウをやればいいのに。 と思ったがせっかく公認されているのだからどうせやるのならば、非公式でやるよりもちゃんと認められた方がよほど楽なのだろう。その分雑種根性みたいなものは無くなってしまうのだろうが。ただどう考えても公認のやくざに脅しをかけられて、公認だからと威張られたら脅された方は当然不満に思うだろう。みんなドロボウやヤクザにつきたがるのではないか。そもそも公認のドロボウや公認のヤクザはドロボウやヤクザを名乗っていいのだろうか。もうあの職業はヤクザの職業だねぇ〜みたいなさげすみの言葉が使えなくなってしまうじゃないか。


何もかもを役に立つか役に立たないかで区別してしまうような、そんな現代社会を皮肉った作品ともいえる。そんな社会に、まったくなんの役にも立たない宇宙人が突如現れて、やっぱり突如去っていく。その間特に何もない。あるとすれば、日常的な問題が個人個人の上にいつも通りあっただけだ。宇宙人がやってきたから日常が非日常になるわけじゃなく、今までの日常が別の日常に変わるだけだ、という当たり前の事実を示したのではないか。いやしかし突然関東大地震やなんやかんやが起こって、家もぶっ壊れて避難所生活、なんていうことになったらそれは非日常で、また家に戻れるようになったら映画の逆再生みたいに非日常から日常への回帰ということになるのだろうか。ふむ、よくわからん。何を書いているのだろうか。


SFで宇宙人がやってくる! といえばどの作品も大慌てで、国が動き出し大統領は会談し国民は歓喜し、直接宇宙人と対面する人間は狂喜乱舞し、というのが通常だが、ここじゃあ宇宙人がいようが宴会はするわファースト・コンタクトは泥酔状態でよく覚えていないわ、いざあらためて宇宙人と対面してもほんとにこれ宇宙人かぁ? と疑って永い回り道である。結局そのまま帰ってしまうし。考えてみればこんなストーリーは特異という他ない。まったく役に立たないからこそ、役に立つということもあるのかしらん。
言葉遊びみたいなもので、実際の意味となるとよくわからない。ほんとに役に立たないから役に立つなんていうことがあるのだろうか。でもこれって老荘の教えでもある。無用の用、まさに役に立たないからこそ役に立つ。老荘がいっているぐらいだからきっと正しい。適当だが


武井がヤクザから証書を盗み出す場面は不覚にもかっこよかった。ラスト一文、武井は、勝った。で、たかだかヤクザから証書を盗み出すという、宇宙人がきているという大事件から比べれば大したことない、それでも日常からすれば大したことある、その微妙な狭間にあるぐらいの任務というのも忘れて、武井が地球に襲い来る隕石を食い止めた! と同じぐらいのかっこよさをビビっと受信した。というのは言いすぎだが。うむ、それ以外には特に記憶に残っているような場面はないな。これも無用の用か。特に目立つところがないおかげで、全体に目が行きわたる。あっさりと平坦なストーリー展開であった。どこか一か所、クライマックス的な場面があれば、人はこぞってその場面が凄い! とはやしたて、その場面しか注目されないかもしれないが、どこにもなければ全体を見れる、そういうことだろうか?