基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

征途 1衰亡の国/佐藤大輔

 「諸君は、私が今まで述べた所には、<もし〉と〈しかし〉が余りに多すぎると言われるかもしれない・・・・・だが、戦争の実際問題を解く場合には、この二つが大きな役割を果たすのだ」
                      ──アルフレッド・セイヤー・マハン
                       (合衆国海軍少将 戦略家1840〜1914)

最初読み始めた時からみょうな違和感を感じていたのだが三分の二ほど読み終わった時に、気づいた事がある。


これ読んだことあるやん・・・・。


まぁいいや。二回目にして新たな発見というものでもないが、微妙なところにも気付く事が出来たような出来ていないような。そもそも読んだ事を忘れているぐらいだから何をいわんや、か。考えようによっては過去の名作をリフレッシュした気分で読めるというすばらしい能力といえるのかもしれないが、この場合絶望しかない。自分の記憶力のなさに。


そもそもこのわけのわからん文章を書き始めたのも、この重大な記憶力の欠如が問題だったから、そういう意味ではこれは非常に役に立っているといえる。過去に読んだかどうか忘れてしまってもこのブログを見ればあっというまに思いだせる。


これを読んだのは確か二年前ぐらいだったか、その頃はさすがにまだ始めてなかったからな・・・。記憶の大海の中に埋もれてしまったか。それにしても忘れてしまうっていうのも酷い話であるが。つまらない話ならまだしも、滅茶苦茶面白かったような記憶が思い返されてきた。というか読み返していて面白かった。


個人技が光り、戦闘機が入り乱れるスカイ・クロラのような物語もいいが、終戦のローレライ、原潜サターンの作戦、やこの征途のような、艦隊戦が書かれる物語も極上に面白い。どちらも同じ戦争の話ではあれど、その面白さのベクトルは全く違う方面にあると思わないでもない。とにかく関わっている人数が多いからというのがその理由の一つではないだろうか。戦艦一隻に何人ぐらいの人間が載っているのか・・・。無能な人間もたくさんいれば、その中にきらりと光る天才が混ざっている可能性が高いというのも面白いポイントだ。日露戦争の秋山に限らず。集団であるということがそのまま物語性を帯びてくる。
もういまや世界に戦艦など無くなってしまったことも考えると、もう物語の世界にしか、新しい戦艦を見つけられないというのは悲しい限りである。もう今じゃ航空母艦しか存在しないのかな?でかいのは。


佐藤大輔の本は大抵面白いのだが、どこが面白いのかと聞かれれば一番気に入っているのは何よりもその文章だ。特に例をあげるようなことはできないが、セリフ回し、一連の流れの締めの文章は特に好きな部分である。セリフ回しが好きというのは、たまに作品を読んだり観たりしていてよく持つ感想なのだが具体的にどういうセリフ回しを評価しているのかというのは自分でもよくわからないところである。

まぁジョジョエアマスター、福本作品ぐらい特徴的になってくれば指摘もしやすいのだが。漫画もこうして考えてみるとセリフが特徴的な作品ばかりだ。ソウルイータープラネテスなど。名言とか眺めているの大好きだし、セリフ偏重主義かもしれぬな。神林長平とか好きだし・・・。絵柄と共に、個性が強く出る部分だからかもしれない。


しょっぱなから引き込まれるような文章で始まる。幼女とかいう単語が普通に出てきて少しびびる。そもそも幼女といわずに、少女というケースが圧倒的に多いのにわざわざ幼女と少女を使い分けているのは何故だろうか。さらにいえば、幼女と少女の違いというのはいったい何であろうか。確かこの作品の中じゃ使い分けられていたはずだが、さすが作家というところか?


舞台は、話の焦点になっている1945年あたりではなくいきなり1995年から始まる。宇宙に飛び立とうという描写には思わず面喰う。

 「気にしなくていい。私は、昔からああいう手合いの扱いには慣れている。あのような人間になったのは本人の責任ではない。精神の自立以前に、知識だけが詰め込まれたことが原因だ」


いきなり手厳しい。本人の責任ではない、とかいっておきながら内容は決してやさしいものではない。こういうセリフがぽんぽん飛び出してくるのが、本当に楽しいと感じる。さすがにムーミンとは違うぜ。


登場人物の名前が、色々なところから引用されてきているようで、楽しい。ロバート・A・ハインラインなんかは超有名どころだが、キンケイドだったりなんやかんやでにぎやかだ。


藤堂が戦いのさなか、指揮をとらざるを得なくなってしまう場面があるが、これは皇国の守護者のパターンと同じだ。無能な指揮官に動かされていたところを、無能な指揮官が戦死することによって、若くて有能な指揮官に移り変わる。興奮しないわけがなかろう。さらに今まで無能な指揮官に対して、フラストレーションがたまっているのである。それが死ぬというのはなかなかこういっちゃあなんだが、気持のよいものである。


とはいっても征途の中じゃ日本軍の将校はそれほど無能だという直接的な書かれ方はしていないような気もするが。それが実際に居る人物をモデルにしていることからの配慮なのか、あるいはただの誤解なのかは定かではない。


この親子何代にもわたって受け継がれていく日本の魂というべきか、まるでJOJOジョースター家のような壮大な物語を予想させる。この親から子へと受け継がれていく、というような手法がやたらと感動的に感じるのは、それが単純に過去にそういうものなのだよ、と書かれているだけじゃなくどういう人物だったのかまで細かく書いていっているからだろう。
なんだかうまくかけないが、言いたい事は親子何代にもわたっていく物語はそれだけでおもしろいという事だ。


最初に、藤堂輝男という人物が登場していることから守と進どっちだったか忘れたが、どっちかの子供であることがわかる。確か進が守の子供だったかな? ということは、進も立派に成長して子どもを残すことはすでに決定されていることである。さらにいえば、少しだけ描写されていた、雪子と結婚することもすでに明白である。


何故かというならば自分がすでに読んだからだ。がはは。


これだけ親と子についてこだわるのはやはり、もう読み終わっているからだろう。結末がどういう風になるか知っているから、だろう。実際のところぼんやりとしか覚えてないのだが(読んだことすら忘れていたのだから当然だ)


読むのが二回目だろうと、戦闘の描写は驚くほど意味がわからない。そもそもこの手のものを完全に理解しようとおもったら一体どれぐらいの用語を覚えなくてはならないのだろうか。好きこそものの上手なれというし、本当に好きならばすぐに理解できるようになるのかもしれんが。 その理屈ならばそんなに好きじゃないのかな・・・。


無能と評される人間がたくさん出てくるというのも、面白い。当然これだけの大組織になってくると、それを隅から隅まで管理できる人間というものは本当に限られてくるものだ。全体を見れない人間が、特に大した理由もなく上に据えられると下は苦労するが、概して組織というものはそういうものだ、という事を痛感させられるというか。そういう中でいかにマシな未来を導き出すか、というところが面白い。

 「我々には、船団が無傷で済む選択肢など残されていないのです。今日、苦しみを受けなければならないのなら、明日、よりよいものを得られるための苦しみを選ぶべきです。今日より明日は絶対に良くしなけりゃなりません。それが我々の仕事です」

どうにも調子がのらん。ひどい文章だ。次からまた調節していけばいいか・・・。今日はこの辺で。