基本読書

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悲しみよ こんにちは/フランソワーズ・サガン

こんにちは

感想

ふむん、女性作家だったのか。1ページ目にある写真を見た感じでは、少年と区別がつかない。自分だけかもしれないが。女性作家というものに対する偏見が、自分の中に根強くある事を読んでいて意識する。女性作家といえばなんにでも恋愛をからませてくるわ、からまっていないにしても心理が恋愛的な要素を含みすぎている傾向が多い、という偏見である。


過去に心酔といっていいレベルで好きになった女性作家といえば、ジェイムズティプトリージュニアと、塩野七生だけである。方向性が全く別だが、どちらも読んだ後に女性であると明かされると、意外とされる作家だ。

この小説はこれぞ女性作家! と掛声をあげてしまうような、女性的表現に溢れている。いったいどんなものが女性的表現というんだよと言われても知らないが、とにかくそういうことにしておこう。


すばらしいのはこの雰囲気だ。フランス文学なんていうものは、まったくよんだことがないが(たぶん)おお、こりゃフランスだねぇとフランスなんて言った事もない上にどこにあるかもしらないうえに、イギリスとほとんどにたようなもんだろ、というようなあいまいな認識しか持っていない自分がそう思ったのである。いったいどこでフランスの雰囲気なんてものを刷り込まれたのかわからないが、とにかくこれはフランスだねぇという感想を抱かせるに充分なフランスっぽさなのである。


セリフ回しは小説というよりも、劇の台本をそのまま持ってきたような感じだし(最初はかなり面喰った)その舞台設定はもうこれフランスしかないっしょ! という気にさせてくれる。一夏の恋と謀略、別荘、川にボート、ヨット、テラス、出てこない近所の住人はどうでもいいとして。あまりにも創造力が貧困なので、言葉をひねり出せないのだが、とにかく風景が美しい。映画じゃこうはいかんだろうなぁというような、想像上の美しさである。

そのどれもがフランスというものを体現しているように思える。何度もいうようにフランスというものが何なの、という問いには一切答えられない。


フランス映画といい小説といい、何故こんなにはっきりとした印象を持ってフランスを見ているのだろうか、と不思議に思う。アメリカに対してもほかの国に対しても、これほど抽象的で、それなのにしっかりとしたイメージを持たせるフランスというものは、なかなか楽しい国なのかもしれない。


何よりも驚くのはこれを書いたのが十八歳の時だということだ。逆にこう考える事も出来る。十八歳だったからこそかけたのではないか。そんなこと別にどうだっていいのだが。心情の揺れとか、妙な全能感とか、思い返しながら書いたのではこうはいかないのではないか、とはっとさせられるようなそんな感想を抱かせて、それが決していやみではない。あまりにも若い頃の無鉄砲さとか、考え無しの行動をそのまんま書くと、同じ経験をしていた人はいやみのように受け取ってしまうのではないか。だが、そういうこともなかった。


ストーリーは、父の婚約相手が気に入らなくて、父の元愛人と自分の恋人を使って破局に陥れてやろうとする、というような一文にしてしまうととんでもねぇ外道主人公のようになってしまうのだが、今のところはまだ主人公に共感できる。読んでいる最中にフロイトが頭の片隅で、ファーザー・コンプレックス! ファザコンだよこれは! イドだよ! 無意識だよ! 人類の無意識が父親を望んでいるのだ! と叫んでいたが特にどうということはない。


自分が今までやってきたことが変化させられてしまうことへの恐怖ってのは誰にでもあるのだろうが、それを制御できないあたりが17歳らしいと感じさせる。もしくは、父親のやり方を受け継いでいるだけかもしれないのだが。この父親なら娘と同じ事をやりかねん様な気がする。そもそも、女をとっかえひっかえしているようなやつの元で育って、これほどまともな人間に育ったというのが凄い。親父のセリフは壱から拾まで歯の浮くようなうすら寒いセリフで構成されていて、なんともいえない人物である。


アンヌはアンヌで、突然父親の元へおしかけてエルザから強引に奪っていくしそのあまりにも素早い手法には関心するしかない。プライドも異常に高そうだ。そりゃ浮気されたとしたら死ぬわ。恐ろしいのは、こういう人間が実際にいるということである。物語の中だからといって笑っていられない。ふーむ? しかし作中のセシルの解釈はどうなんだろうな。父親と、セシルがひょっとしたら自殺じゃなくて事故だったのかもしれないという、逃げ場のためにそういう死に方をしたんだと言っていたが、本当にそこまで気配りができるものかどうか。そういうどっちつかずの死に方をしたっていうのが、未練の表れかもしれない。一見完璧に見えるアンヌでも、かなり心残りはあったのだろう。まぁそんな死に方をしたにも関わらず、ずっとセシルは悲しみよこんにちはしていくのだから無意味だったのではないか、とも思うのだが。


これから何度も、自分がしたことの罪について、アンヌの事を思い返すたびに悲しみが舞い戻ってくる。それをして悲しみよこんにちはというとはなかなか面白いタイトルである。

 ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。


ふむん、悲しみを表現しようと思ったが、意外というほどでもないかもしれないが難しいことに気づく。ものうさと甘さとが付きまとって離れないといわれても何のことやらさっぱりわからないが、それを悲しみというのならば悲しみというのだろう。悲しい、さびしい、色々あるが、具体的にどういうものだとかはまるで考えた事が無かった。


読んでいる最中は展開が読めないので、ひょっとしたらセシルはいらついて、シリルとエルザに命じてアンヌを殺させる展開なのでは!? と期待しながら読んでいたがそんな事は全く起こらなかった。そんな展開になったらホームズとかが出てくるに違いない。うむ、雰囲気的にはぴったりなのだが・・・。