基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

レッドサン ブラッククロス〈7〉バーニング・アイランド/佐藤大輔

ついに地獄の蓋は開かれたのだ。恐ろしい、想像するだけで死臭が漂ってきそうな地獄が7巻で、ついに現出していた。そして自分はといえば、そんな悲惨な状況が書かれている本書を読みながら、あまりの面白さに笑い転げていた。傍から見たら気が狂っているといわれても仕方がない。極限状態でのいちいち鳥肌がたってどうしようもなくなるようなセリフに、無謀としか思えない突撃、自分の信じる正義のために死んでいく両軍の兵。そのどれもが、一瞬の交錯の上でうまれ、散っていくのである。

この時代の徹甲弾は中に炸薬が入っておらず、戦車にあたると、爆発するのではなく、貫通する。その後中に入り込み空間の中で思うざま跳弾し続け、中に居る人間をミンチにするそうなのである。当時の戦車戦のあとの、戦車の中身は血液の海といった感じで、とても見られたものではない有様であったとどこかで聞いた事がある。そんな地獄を、読みながらあまりの面白さに笑ってしまう自分の神経を疑りたくなるところである。しかし考えてみれば、この小説ごときで、なんてひどいなんて目を背けているようでは、どちらが現実とフィクションの区別がついていないのか、あやしいものである。むしろ目をそむけようとしている人間の方が、区別が付いていない分危ないのでは? と反対に心配してやりたい気分だ。

いったいどこがそんなに面白かったのか? と訊かれたら全部と答えるほかない。それ程どこかしこにも死のにおいが漂っている。攻撃がまったくきかない、という絶望的劣性にある日本軍と、装備の面では圧倒的優位に立ちながらも死地に赴かねばならないドイツ軍の対比が、入り乱れるこの状況が、どれほど面白いかと人に伝えるには、それを読めという他はないのである。基本的にストーリーものだと、書かれる立場は主人公側ただ一人である。もしくは、敵側の事情も書かれることも、もちろんあるだろう、だが敵味方の視点がめまぐるしく乱れ合い、壮絶な殺し合いをしているというのに、お互いを認め合っているというこの異常な状況が、ほかにどこで読めるというのだ。

 かれは前方をみつめた。敵兵であふれかえったそこは、まるで蜜蜂の巣だった。そしてかれは、そこに飛び込む雀蜂。いつかは、死を賭して向かってくる蜜蜂にやられてしまう雀蜂。

死地に自ら飛び込む雀蜂。だが雀蜂と、蜜蜂tとの対比にたった一つ違いがあるとすれば、この雀蜂は、飛び込む先が死地であると知っている点である。自我を有しながらも飛びこまなければいけない、そこが人間の悲しいところでもあり、また人間を人間たらしめている核の部分でもあるのだ。なんてかっこいい感じに言ってしまいたくなるぐらい、影響されている。自分は単純なので、読んだ本にすぐ影響されるのだ。しばらくはこの傍目には痛い自己陶酔にひたらせてもらいたい。

 装甲のうすい車体後部をねらえば、一式改でも敵戦車を撃破できるかもしれない。だが、ここから動けばやられてしまうかも。これまで吹き飛ばされずに済んだのは、周囲の茂みが車体をおおっていてくれたからだった。怖い。逃げ出したい。逃げたい。いやだ。死にたくない。ああ、だめだ。逃げてはいけない。逃げることはできない。逃げちゃだめだ!

ベルンハルトが死地に飛び込む悲壮な決意をしている直前に、加藤もまた同様に、死地に飛び込む覚悟をしているのだ。生きたいという基本的欲求を強引にねじ曲げて敵へ攻撃を仕掛けるその様はベルンハルトに勝るとも劣らない気迫を感じさせる。シンジ君? という突っ込みはナシだ。戦いに戦いを続け砲塔はひしゃげ、走る棺桶になり果てた一式改を時速40キロで走らせ、ベルンハルトの戦車に突撃しに行く場面の勢いはどうだ! 加藤といい大島といい、突撃が好きなやつらである。これが日本軍のカミカゼ精神ってやつか・・・。普段だったら絶対肯定できない精神なのだが、今はカミカゼ万歳! って気分だぜ、畜生。

 損害は覚悟していた。いや、全滅すらも。しかし、現実にそれを味わうとなるとまた別だ。過去、おおくの指揮官たちがこの差に耐えられずにあやまちをおかしてきた。

この巻はベルンハルトの巻といってもいい。ベルンハルトのかっこよさの源はドイツ軍だとか、日本軍だとか関係なしに軍人魂というやつであった。そしておおくの指揮官達の中に紛れる事なく蜜蜂の巣に突っ込んでいき、死亡。死ぬその直前まで、日本兵への称賛を惜しまなかった。

清水も、森井もそれぞれが出来る限りの支援を行っていたがそれはあくまでも支援であった。初雪は走りまわり、敵を足止めし、対潜砲までもちだして闘っていたがあくまでも記憶に残ったのは、加藤とベルンハルトの奮闘のみであった。

 もちろんいかなる人間もその人格の一部において無能ではある。加藤だけがそうなのではなかった。かれの友人である清水や森井も、人間としてどこか無能な部分をもっている。おそらくは、加藤の射殺したベルンハルトも同様であった。

この三人は友人だったのか? と今さら知った。確かにどこかで話していたような気はするが、つながりがあったとはな。ベルンハルトが死んだ事によってドイツ軍の抵抗は一段落することになる。決着が、加藤によってつけられたことも非常に面白い。

 だれもが、はじまりが終わったことを知った。地獄の釜は煮え立っている。その薄汚れた蓋には何本もの血塗られた手がのばされていた。戦争の夏がはじまった。