いるか、いないか。
人の状態は、この2つしかない。
再生の繰返し。
ありがとう・・・も
ごめんね・・・も
いらない。
くるっと
1回転で消えてしまう泡
無限のループ。
『スカイ・クロラ』森博嗣
今、ビートルズのヘルター・スケルターを聞きながらこの文章を書いている。いい曲かどうかなんてさっぱりわからん。ビートルズなんてほとんど聞かないのだ。名曲なのだろうか。歌だということはわかるのだが、いい歌か悪い歌か、という判断がくっついてこない。
まあでもせっかくなので、これを書いてあるぐらいはループさせておこう。恐らく、もう二度と、自分から聞く事はないだろうから。思えば奇跡的な出会いである。もう二度と聞かないとしても。こうして小説から何かつながっていくというのは心地よいものがある。
大学生に人気と聞いて、どうせまた薄っぺらいラブなんだろ、ラブ(笑)とか馬鹿にしながら読み始めたらラブなんてかけらも存在しねえ。それどころかメインに女の子が一人もいないじゃないか。ケータイ小説を読み始めたら中身が極道の抗争物だった! というぐらいの衝撃を受けた。いやいや、ウケるかも知れんよ、ケータイ小説で極道物。
キャンパスとコンパスって語感がいいよねという話で始まる。不思議な感じの出だしでインパクトを出して引き込む作戦か、と辟易しながら読み進む。少し考えてみたがキャンパスの語感がいいという感覚がまったく理解できない。本当にただのツカミだったのか、キャンパスとコンパスの話は何の意味もない。そのすぐあとに始まった大学の教授による黄金比の話で話に引き込まれる。この淡々とした雰囲気というか、語り口が博士の愛した数式を思い出させる。このあっさり感は作品全体に流れていて、この雰囲気だけで読ませる。
いきなり主人公、大学をやめてしまう。キャンパスラブが書かれると思っていた自分は度肝を抜かれる。結局辞めた理由は明らかにされていないのだろうか。そんなに一言一句逃さずに読んだわけじゃないので、わからん。なぞだらけだ。突然大学をやめ、いきなりバンドを結成し、ヨシモクはヘルター・スケルターを聞いたら何をする? という問いにいきなり学校へ行く! と答え、主人公は突然結成したバンドに変わり身を送り込む。
なんじゃそりゃあ! なめてんのかぁ!? 読み返せってことか? ヨシモクという名前を騙るわ、中浜さんには退学したのを休学と偽るわで素晴らしい嘘つきだ。こいつとは友達になれねえ。
ヘルター・スケルターを聞いたら、何をするかメンバーが一人一人答えていく場面がある。自分はこれを書いた。特に何の意味もない。しかしチバの答えはほんとに笑っちまうな。ドラマーなんでたたくだけっすって・・・。何聞かれてもドラマーなんで、たたくだけっす、という答えが通用してしまう。いったいドラマーという言葉にどれだけの概念が内包されているというのか。いいなぁ、ドラマー。
主人公どんな時でも流されている。言いたくないがちょっと親近感を覚えてしまう。反対に教室長はかなり行動的である。悪い連鎖は断ち切らなければならない、といって楽観的にほっとけばいいという意見を持つ主人公を両断する。そんな教室長みたいな人間になりたい、と言っているのだから心の奥底ではそんな自分を嫌っているのだろう。結局バンドのボーカルだって、中浜の方が自分よりいい人材だとわかって席を明け渡してしまった。でも解説のミュージシャンのいうように、この話の後で主人公がやっぱり仲間に入れてくれませんかねと、にかっと笑ってバンドに入っていくストーリーだったらいいな。
たまーに本の解説をバンドマンが書くことがある。というか未だ二回しか知らない。水滸伝何巻だか忘れたが、解説をバンドマンが書いていた、もう一回はこの本である。どちらも狂ったようなノリで文章を書く。ヤクザなノリである。それが自分の役割だとでもいうように。まぁバンドマンが普通の解説のように、真面目な書き方で解説したら笑ってしまうからこれでいいのだろう。
もう一遍収録されている。月に吠えるである。どちらかといえば、短いが『月に吠える』の方が好きだ。パンクなノリの哲郎と、ドラマーだ、の一言ですべてを片づけてしまうチバ。キャラが立っているからか、わかりやすい。わかりやすいだけで他に何もないのが難点といえば難点か。ぐるぐるまわるすべり台の方とはうってかわった快活さが、セットになったことでより面白みを増している。
「俺は曲を創るよ」
「おう。俺はドラムを叩く」
フランクボーマンさんの名言を思い出すねぇ。まったくイカすぜ、この二人は。この二人がバンドマンとして成功する未来はまったく見えないけどな。