基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ηなのに夢のよう/森博嗣

ηなのに夢のよう (講談社ノベルス)

ηなのに夢のよう (講談社ノベルス)

「グレーテや、ちょっとばかりあたしたちのほうへおいで」悲しそうな微笑を浮べてザムザ夫人が言った。グレーテは死体のほうを振り返り振りかえり、両親のあとについて寝室にはいった。手伝い女はドアを締めて、窓をいっぱいに開けはなった。朝も早いというのに、すがすがしい空気の中には、どこかに暖かさがまじっていた。本当にもう三月も末に近かった。

グイン・サーガ風にいえば風雲への序章といったところか。驚天動地の展開のオンパレード。萌絵は前回λに歯がないにおいて、過去のトラウマを乗り越えたがそれによって新たな階層が出現した。だんだん面白くなってきているように感じる。というか、今までのGシリーズの中ではやはり一番面白かった。半分ぐらい読んだ時点で、まるで四季シリーズを読んでいた時のような緊張感が保たれていて非常に良い。特に反町愛の、志村うしろうしろー! や萌絵に驚愕の事実がもたらされるところなどはドキドキワクワクといった感じで感情を揺り動かしてくれる。なんで金子君が萌絵のためにそこまでしてくれるのかちょっとわからんけど。そもそも金子君なんていうキャラクターをすっかり忘れていた。そういえばそんな奴もいたような気がする・・・ぐらいのレベルである。しかもいきなり結婚するとか言っちゃうし。

他にはクロスオーバー的な面白さがある。SMシリーズ、Vシリーズ、四季シリーズ、全部読んできたからこそ面白い。ほとんど忘れてしまっているのが難点といえば難点だがそれぐらい気合いでカバー。特にVシリーズは一番のお気に入りなので、瀬在丸紅子が出てきたところは狂喜乱舞雨あられ。もうずっと瀬在丸紅子が主役はったらいいのにと思いながらも、萌絵サイドにも注目が集まるのは当然であって。前回の事件が単純な復讐物語だったのには何かわけがあるのかもわからない。今回、両親が巻き込まれた飛行機事故が真賀田四季の仕業だったのではないか、という話が出てきて、その復讐をするかどうかの話題になった。前回の流れを引き継いでいるといえなくもない。それから今回、遠距離恋愛を続けていた反町と金子が結婚をすることになった。これも何かを暗示しているようで面白い。次に遠距離恋愛になるのは、萌絵と犀川なのかもしれないのだ。国枝に向かって、旦那と離れなくてはいけなくなったらどうするか、と尋ねて「べつに」と答えられていたのには笑った。仮定の話なんか想像するだけ無駄だ、ということか、割と難しい問題なのか・・・。それにしてもこいつら、確実にSEXをしている。間違いない。だが地の文でさらっと、今夜二人はお楽しみであった、なんて書かれても興ざめだし、喜々として二人の性生活を書かれるのも非常に不愉快である。やはり何もかかれないのが一番いいのであろう。うんうん、そうなると遠距離恋愛になった後の展開を想像するのがまた楽しい。ひょっとしたら今後この物語は、復讐物語になっていくのではないか、とかね。犀川先生が殺される、もしくは植物状態にされるか拉致されるか、そうなった時萌絵は拳銃の引き金をひけるか、とか。なかなか少年漫画的な展開でおもしろそうではある。今まで出てきたキャラクターが総出で悪の巨漢真賀田四季と戦う! 恐るべき頭脳によってすべての動きをシュミレートされてしまう萌絵たちに勝機はあるのか!? とかね。真賀田四季の視点が挿入されていたのも興味深い。いったいなにがどうなっていくのやら。保呂草と赤柳も出会い、瀬在丸紅子は動きだし、真賀田四季の存在も確認され、萌絵は過去を乗り越え新たな戦いに乗り出し、反町愛はちゃっかり結婚をする、と。

事件の話に移るが、もはやこれはミステリーではない。四季シリーズを彷彿とさせたのも、そのあたりが原因かもしれない。あれも、ミステリーではなかった。むしろミステリーではなくなったほうが面白いのだろう。その方が制約も少ない。えらい高さや、通常考えられないようなところで自殺した人が出現し、さらに現場にはηなのに夢のよう、という絵馬が残されていただけだ。特に不思議なことはない。普通に自殺しただけだ。
それよりもやはり、生と死、もしくは自殺、動機、レッテル貼りについての数々の談話が面白い。たとえば理由もなく人を殺す人間が怖いのはどうしてだろうという問いに対して

 「それは、理由が理解できれば防ぐことが可能だからです。怨恨で人をころしたという理由がはっきりとわかっていれば、自分の身の回りで、怨恨が生じないようにすれば良い。なんらかの対処ができます。でも、理由もなく人を殺す人がいるとなると、何をどうすれば良いのかわからない。それが人々を不安にするのだと思います」

言われてみればそんなたいしたことではないのだが、今まで考えた事もなかった。またこの問題は動機にもつながってくる。面白いからやりました、という動機に世間の人間が納得できないのは、面白いからやられたのではやられる側は防衛できないからである。そういう理屈に繋がってくる。

 「突然自殺する人って、珍しくないわよ。私だって、明日あっさり自殺しているかもしれません。人間なんて、そんなものではありませんか? 今日大丈夫だから、明日も大丈夫なんて、約束はとてもできないでしょう?」

よくブログで森博嗣が言っていることであるが、あらためて刻みつけておこう。今まで大丈夫だったからこれから先も大丈夫だと考えるなんてバカだ、とおもに企業へ向けていっているわけだけれど、誰だって安心を得たいわけで、今まで大丈夫だったのだからこれからも大丈夫だろうと考えたいのであろう。大企業に就職するのだって大企業ならば倒産することもないだろうという楽観的観測であることだし。まあでも大企業が未来も大企業である可能性は他よりは高いのかな? どうなのかな?