基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

容疑者Xの献身/東野圭吾

容疑者Xの献身 (文春文庫)

容疑者Xの献身 (文春文庫)

泣けるのう。泣けるのうのう。素晴らしい愛の形とでも書いておこうか。最終的なトリックには度肝を抜かれた。こういった、犯行を犯す側の視点から書かれた作品をミステリ用語で倒叙ミステリなどというらしい。何だか東野圭吾はそういった傾向が多くないかな。ただのイメージでは、あるのだけれども。そもそも倒叙ミステリの場合、読む側は推理をする必要なんて無いのだろうと普通の小説を読むように、違和感など何一つ追及せずに読み進めていったのだが最後には度肝を抜かれた。叙述トリックだったとは。ミステリてのは用語が多くてこまるが、叙述トリックってのは多分文章で誤読させるトリックだろう。乙一か何かを読んでいるときによく聞いた気がする。

まあ、こりゃわかんねーな。思いこみによる盲点をついている、という石神の言葉を聞いた湯川がなんだそうだったのかー! と愕然とする場面で、何がそうだったんじゃー!?とびっくりして慌てて考えてみたものの、思いこみが多すぎていったいどれが盲点をつかれているのかさっぱり。結局何がおかしいのかわからずに、解決編になだれ込んでしまった。今回、犯罪の動機といえば純粋に利他的な愛であるということになるのだろう。

 「今はただ、大衆は犯人の動機を知って、同情したり、あるいは怒りを新たにしたり、呆れたり、そんな反応の感情を抱きたい、ただそれだけのことです。そうじゃないと、どう反応すれば良いのかがわからない。反応ができないものは収まりが悪い、というだけなのです。結局は、収納の問題で、レッテルを貼ろうとしているだけです」
                             『εに誓って森博嗣

こういった身代わり殺人ものにも、ミステリ用語的なものがつくられているのだろうか。ヤクザが身代わりに殺人をおかしたと供述する話とか、妻をかばうために夫がーとかよくありそうだけれどもな。あまり読んだことが無い。G線上の魔王も確か、そんな話であった。ただこちらは結末が少々異なる。G線上の魔王風に容疑者Xの献身のラストを書き換えるのならば、刑期を終えた石神が刑務所から出るとそこには靖子とすっかり成長した美里の姿が! 家族3人そろってこれからも幸せに生きていきましょうEND。 ふむん、工藤が出てきてから靖子の心がどう揺れ動いていくのか、なんとも判別しなかったが弱さを露呈する方向に動いたか。美里がリストカットをするとは、なかなかびっくりである。こいつ結構考え無しだよな。突然父親の頭を殴りつけるか・・・。元はと言えば美里が始めた行動だっただけに、美里の心の動きがほとんど書かれていないのは残念といえば残念。

特に会話をかわしたわけでもない、自分がファンな親子のために人を殺すか・・・。自分の生きる希望になってくれたから、とあるが責任重たいよな・・・。最終的に、その責任の重たさに耐えきれずに自首しちゃったわけであって、本当に石神のしたことは無意味になってしまったわけだ。見ず知らずの人間に、あなたが私の生きる希望なんです! と思われているなんて、想像しただけでもきつい。自分の人生ってやつを他人に丸投げしている。それも一つの生き方では、あるのだけれども。

人が人を殺す時に、単純に論理的に必要だからってだけで殺すことができるものだろうか。たとえば今回の例でいえば、単純に花岡親子のためだと要するに責任転嫁か。理由があるから殺すというのは冷静であるだけに残酷である。

解説がついていなかったが、映画公開に合わせて無理やり出版したからつけられなかっただけだろうか。あればあれで邪魔だなと思うものの、なければないで悲しいものがある。