基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

議論の余地しかない/森博嗣

議論の余地しかない

議論の余地しかない

タイトルが気に入って読もうと思ったものの、まさか小説ではないとは思わなかった。小説ではないっておかしな言い方だが、この作品のことをなんというのかよくわからない。名言集でもないし写真集ともちょっと違う。いやいやしかしこれはやっぱり写真集なのだろうか。Gシリーズのどこかで、写真について言及しているところがあったな。物質のほんの一端の見え方を封じ込めたものが〜みたいな。全然違ったかもしれない。

写真と一緒に、森博嗣の本から文章が引用されている。ここで引用されている本は、臨機応答・変門自在、以外は全部読んだ事がある。だがあらためて文章を再度読み直してみると、今までの内容が走馬灯のように戻ってきてなんともいえない気分にさせてくれる。森博嗣作品は、読み終わった時に物悲しくなる。もう他の作品はないのか・・・と。そうすると、もう一度各作品を読み返したくなる。

写真もあったがほとんど記憶に残っていない。犬の写真があったような気がする、というぐらい。文章しか読んでいなかった。何故こうも映像的な表現に弱いのか。視覚でものごとを捉える能力がどこか欠如しているとしか思えない。良い写真と悪い写真、違いが全然わからないし。しかしプロがとった写真でもないのに、写真を載せる意味ははたしてあったのだろうか。

まぁそんなことは置いといて、ほとんど格言集なので、星の王子様の時と同じく気になった点だけピックアップしておしまいとしよう。

真実-Truth-
「正解とは、真実とは、本人が最も納得できる仮説に他ならないのです」
 『地球儀のスライス』141頁

「親」という生の放棄-Sacrificing is being a Parent-
「パパは君で夢を見る」というキャッチコピィの広告が目についた。犀川はそれを見て、萌絵にこう言った。「子供は、あんなパパが大嫌いだ」
萌絵も同感だった
子供で夢を見る親は、もう「親」という生きものだ。それは人間の生を放棄している。ついつい人は、そうした装飾に包まれた安楽を望むもの。
有限と微小のパン』199頁

クラナドの渚パパを全否定したかのようなセリフである。下のコメントでこういうのも生き方の一つである、他にもたくさん生き方はあるけれど、と締めくくっている。

理由と行動-Reason and Reaction-
人は常に理由をもって行動するのではない。
それにもかかわらず、常に理由を探そうとする。
月は幽咽のデバイス』280頁

あれ、これで終わり? と思ったけれどこれで終わりのようだ。もう何も出てこない。まあ読み終える? もしくは観終えるまでに30分もかからなかったからこれぐらいでいいのだろう。写真ぐらいはもう一度見直してもいいかな。