基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

マウス/村田沙耶香

マウス

マウス

「何、私が私の性格を、誰かにゆるされなきゃいけないの」

 まるで両極端な二人の女の子が主役である。語り手という意味ならば田中律の一人称小説だが、やはりこれは二人の成長の物語だ。どちらがいいという話ではなく、お互いがお互いを補い合っているような関係性である。律はまわりと自分を同調させることばかり考えている臆病な人間で、瀬理奈は素直にすぎる。相手の立場というものを考えない。相手と同調させることをしない。そういった方向性から両極端な二人の女の子と称したのである。最終的に二人はお互いがお互いのことを尊重して、一人はもう少し自分に素直になろうとし、一人は他者を認識し、社会性を獲得する。誰もかれもが素直に自分のやりたい事だけやって生きていくのでは社会が成り立たない。

 田中律の自己卑下は読んでいて耐えられないものがある。私は駄目だ駄目だと言い続けていたところで、駄目であることは決して変わらない。駄目であるということがわかったのならば、そこから少しでも良くするように行動するべきなのだ。それがいかに突拍子もない行動のようであっても何かアクションを起こせばそれに付随したイベントが勝手に起こる。それによって起きた結果がプラスにしろマイナスにしろ、事態が停滞しているよりは余程マシなのである。今回でいえば、自分らしくないという理由から敬遠していたワンピースを着てでかけたことによって、新たな変化が起こる。駄目でもなんでも行動するべきなのだ。

 まぁそれはそれとして。本を読んでいて登場人物になりきるという話はいろいろなところで目にする機会がある。大抵物語のオチは猟奇オチみたいな目も当てられないものばかりなのだが、今回は穏便に終わってくれて本当によかった。物語を取り上げられた瀬理奈が気が狂って取り上げた人間を殺してしまうなんていうサイコオチではなくて本当によかった。しかしこの「マウス」にそっくりな話を読んだ事があるはずなのだが・・・喉まで出かかって思い出せない。

 例によって学校生活の描写は読んでいて腹が痛くなってくる。女性は誰しもこんな凄惨な戦いを繰り広げて大人になっていくのだろうか・・・。そりゃあかなわないわ・・。小学生のころなんて何も考えずに遊びまわっていた記憶しかない。

 瀬理奈の話にうつる。常に本を読んでいないとキャラクタを維持できないってひどい中毒症状である。正直な話、灰色の部屋の話をし始めたところからこいつはもう精神科に連れて行かないとダメなのじゃないかと思いながら読んでいた。彼女の家庭環境が、結構悲惨なのだがそういう方面からは特に攻めてこなかった。実は虐待されていて・・・とかだったらもっと暗い話になりそうだ。そもそもこいつ毎日同じ話を何回も何回も読み続けているのに、話を暗記していないのだろうか。さすがに何百回も読んだら覚える気がなくても、話どころか文章さえも暗記してしまいそうなものだが。一人称視点である律が隣の芝生は青い理論でやたらと瀬理奈を自分と対比して凄い凄いというのでほんとに凄いように錯覚しそうであるが、基本的にただのヤバい、お近づきにならないほうがいい感じの人である。最終的にちょっとはお近づきしてもよろしい感じになっていくが。

 物語に関係が無い話だが、マウスと聞いて色々話を思い浮かべていたのだ。実験動物のようにイジメられる女の子の話とか。もしくは口の方のマウスか!? とか。あるいはパソコン関係の方のマウスだったり!? なんて。順当にネズミだったわけだが。女性の作家が書くと大抵暗い女性の学校生活が書かれる。西の魔女が死んだ、でも森絵都でもそうだ。学生生活の女性特有の人間関係というのはよほど印象深いのだろう。いつもいつも虐げられる側の人間の話ばかりなのだが、たまには虐げる側を書いた作品でも読んでみたいものだ。虐げている方はきっと自分がそういう風に見られていると思わないものなのだろうから、書けないかもしれない。

 誰が得するんだこの書評では、この物語は「なりきる」ことの複雑さを書いているという。成程確かにどちらも自分というものに仮面をつけて別のものになりきっている。瀬理奈なんて言わずもがなだし、律は律で車輪の下のハンス少年のようになっている。大学生になってからは、ファミレスの店員という役柄に自分を当てはめて店員だから大丈夫とばかりに自分をちゃんと出している。まるでそれが俺の仕事だからといって人を殺す理由を正当化する軍隊のようなものである。なんとも違和感が残るのだが、瀬理奈は完全にマリーを捨ててしまったのだろうか。自分の中に生まれたマリーという存在がたとえ偽りで、ペルソナだとしても自分の中に生まれた自分自身の一部だと割り切って融合を果たす方がむしろ自然なような気がしなくもない。ゲームに影響されすぎという可能性も無きにしも非ず。

 自分を動物にたとえたら何? という質問が何回か出てくる。言うまでもなく律はネズミである。そういえば自分も小学生の頃そんな質問をされたな、となつかしい記憶がよみがえってきた。確かその時の答えはナマケモノであった。単純に小学生のころから怠け者だったから単純につけたのであるが、今でも対して変わっていない。人というのはそうそうかんたんに変わらないものであるようだ。ただ今質問されたのならば、たぶん答えないだろう。たとえられるような動物が頭に浮かんでこない。あえていうならば人間であるが、誰もそんな答え期待していないだろう。反対に、すぐに自分は〜などといって喋れる人間がよくわからない。私は犬、とか本当に自分でそう思っているのだろうか。

 個人的に作者のちょっとした自己紹介文がツボ。作家にとって必要なものは何よりも人間観察能力であると考えている自分にとって、小学校5年生の時から人間観察をしている村田沙耶香を多少尊敬すると同時にやな子供だなと思ってしまう。
なんともまとまりのない文章になってしまった。