基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

百光年ハネムーン/梶尾真治

 リリカルな十二編の短編集。リリカル作品集という言葉を、筒井康隆の短編集で知ってその作品の傾向からリリカルというのはきっとこういう意味なのだろうなとぼんやりと想像してはいたのだが、まだ意味はよくわかってはいない。どの作品もどこか優しい気持ちにさせてくれる作品集で、終わり方も、心地良い余韻が残るものとなっている。

 何故突然梶尾真治を読み始めたかには明確な理由がある。鶴田さんのおもいでエマノンを読んだ直後に、いてもたってもいられなくなって梶尾真治作品をかき集めたのだ。結果的にその判断は間違ってはいなかったといえる。正直なところおもいでエマノンにしか期待していなかったのだ。おもいでエマノンだけ読んで、あとは読まないでいてもいいな、とまで考えていたぐらいである。しかしおもいでエマノンはもちろんのこと、どの作品もドカっと殴られたかのような衝撃を与えてくれる。

 後の方に行けばいくほどどんどん面白くなっていく不思議な現象が起こった。何も後ろに行くほど技術があがって面白くなっていくというわけではない。何しろ発表された時期はどれもばらばらなのだ。これは単純に梶尾真治の作風に慣れていった結果なのであろう。特にラスト三つの短編はどれ一つとして涙を流さずにはいられない傑作ぞろいなのである。おもいでエマノンは言わずもがな、ラストの終わり方は半端ない余韻を持たせてくれる。ヴェールマンの末裔たちは全力でバカをやる中年男の意地がこちらを元気付けてくれる。百光年ハネムーンはSFでしかできない演出が炸裂するしでもはやケチのつけようがない。この作品と、小林泰三のおかげで短編嫌いが今ではすっかり趣味を変えて、短編大好き人間に生まれ変わってしまったようだ。今回も数が多いのでたった今あげた三つの作品のことだけ書こう。

おもいでエマノン

 漫画を先に読んでいたのでストーリィの流れは全部知っていたのだが、全く面白さが鈍る気配がない。何度読んでも最後の場面はしんみり、いや違うな。逃げ言葉だが、なんともいえない気持ちにさせられる。漫画の話になってあれだけれども、漫画は漫画で滅茶苦茶面白い。いっそのこと漫画の感想を書くサイトにしてしまおうか、と思ってしまうぐらい面白い漫画だった。ストーリィは言わずもがな、面白いのは当然である。主人公の男はただのSFマニアだが、小松左京の明日泥棒のように普通の男であることがここでは重要なキィになっている。平凡な人間が、歴史に何の意味ももたらさずにひっそりと生きて、いつのまにか死んでいるような存在が歴史を体現したエマノンの中に刻まれて、生きつづけることができる。漫画版ではさらに絵によって表現される雰囲気が凄い。小説とはまた違った雰囲気を漂わせて、それが全く違和感となって現れてこない。背景とキャラクタが完全に一致している。そして何よりも凄いのは1コマ1コマでころころと変わる表情だろうか。漫画を読むというより、絵画か何かを一枚一枚じっくりと見る感覚で一冊読み終えた。見開き一ページで子供エマノンが「サヨナラ」という場面は鳥肌が立つ。それからやはりこの余韻を残すラストである。

 「十三年間か」
 そう呟いたとき、エマノンの言ったことの意味を悟ったのだ。「数時間一緒にいても、数十年間一緒にいても同じことなのよ」
 それはどちらも刹那だったのだ。

ヴェールマンの末裔たち

 三人の男が同窓会で久しぶりに再会するが、三人とも金に困っていることが判明する。一人はアニメーターで、一人は鉄工所で働き一人は時間を止める装置を開発した男どもである。何の共通点もない特技を持った三人だが、この特技をいかして銀行強盗をやってやると息巻いて、準備を始める。この時点ではまるで伊坂幸太郎の世界観だと思いながら読んでいたのだ。だが突然ガラっと梶尾世界にチェンジする。俺たちにはやっぱり犯罪なんて出来ないと言い切り、病気の女の子を元気づけるために怪獣アニメを、時間を止める装置を使って演出してやろうという話に変わってしまうのだ。

 三人の視線が合った。栄ちゃんは心細さを、ガリビーは疲労を、それぞれの思いを目に宿していた。三人の視線は怪獣ゲズラに向き、誰ともなく溜息をもらしていた。それから病室に目をやり・・・・・。恵の手を振る笑顔がそこにあった。
 「やろうぜ」
 誰からともなく立上がり・・・・・。カシャッ。

こういうのに弱いのだ。いささか王道といえるかもしれない、誰もが諦めそうになり愚痴の一つも言いたくなるようなところで、黙々と諦めずに目標に向かって行く、そんなキャラクタ、展開が好きで仕方がないのだ。この短編集の中では、一番好きな作品となった。この作品があっただけでこの短編集の評価は星2つ分ぐらいあがるだろう。さらにおもいでエマノンと百光年ハネムーンで星を1つずつ。この三つの短編だけで四つ星確定である。

百光年ハネムー

 超技術によって寿命が飛躍的にのびた世界での、銀婚式金婚式のさらに次の次があるとしたら──という話。勿論それ以外にも、家族のため家族のためと仕事をしていたはずなのにいつのまにか手段と目的が入れ替わってしまった男がねじれに気付く話でもある。その過程で過去を見る装置が出てくるが、こういうものをポンと出して、話を展開できるのがSFの強みだなぁと読んでいて非常に面白い。更にSFの良さを体感させてくれるのはラストシーンである。結婚百周年に集まった、百人を超す子孫の大和石式。百人を超す子孫なんて、SFかもしくは中国の皇帝でもない限り無理だろう。しかも全く知らされていないサプライズパーティなのだから恐れ入る。絵を想像すると頬が緩くなるのを感じる。

 「結婚百周年、おめでとうございます」
 老人は圧倒されながらようやく言った。
 「だけど、皆どうやって集まったんだ」
 青年がそれは何でもないという顔で、それに答えた。
 「’’雪奈’’号は千二百名乗りなんですよ。皆、’’雪奈号''の腹の中にいたんです。たった百名くらい。まだまだ乗れるんです。ところで・・・・先程からの皆の話で懸案になっているんですが・・・結婚二百周年はどこの開催を御希望ですか」
 カフェテリア中が一斉に沸いた。