基本読書

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ライトノベル文学論/榎本秋

ライトノベル文学論

ライトノベル文学論

 帯を見た時からどうみてもWikipedia丸写しっぽいなぁ・・・と思いながらあまり期待せずに読み始めた。うむ、やっぱりWikipedia丸写しといっていいような内容だ。具体的に内容がWikipediaから引用されてきたわけではないのだが、Wikipediaを見ればわかるような情報が点々と記されているだけだ。読んでいる間、頭の悪い学生が書いたWikipediaを丸写しして、ところどころ自分の表現に置き換えたとかなんとかいっているレポートのようだなぁ・・・と思っていたのだが、あとがきに大学を中退した私が卒業論文のつもりで書いた、とあって絶望した。もうちょっと何とかできなかったのか・・・。

 さすがにもう少しマシなものが読めると思っていたのでがっくりである。いったいこの本のどこに価値を見いだせというのか。前半はライトノベルの歴史と述べながら、グーグルで検索をかければ出てくるようなことをそのまま羅列したような稚拙な内容だし、後半はライトノベルを分野ごとに分けながら分野の説明、それからその分野に属すると思われるライトノベルを紹介していくだけである。まるで僕のお勧めのライトノベルとばかりに数々のライトノベルを紹介していく。その内容自体もAmazonかどこかからひっぱってきたような判で押したような2行か3行の簡単な紹介ばかりでゴミのようである。独断で得点付のようなことを行いグラフにしているが完全に主観が入りまくりで何を基準にしているのかよくわからない。そんなものを用意した意図もよくわからない。今まで全くライトノベルを読んだことのない人間ならば、基礎知識として読めばなるほど、と思うような情報があるかもしれないがそれ以外の人間が読んでも当たり前のことが書いてあるだけで、あとは作品紹介としての価値しか認められない。それもネットで調べればいくらでも書いてあるような説明がコピペされているだけである。

 ライトノベルというジャンルがここ最近急に発展してきたものであって、歴史が浅いのはうなずける話だ。だからこそ今ならばライトノベルの最初期からほとんどイベントをもらさずにおっていくことができる。その反面非常に短い歴史なので、多様化がはかれないのである。そのせいでライトノベル解説はどれも似たり寄ったりのものになりがちだ。それにしたってこれはひどい・・・。ライトノベル評論家だという話だが、もう少しマシな人物はいないものか。大体ライトノベルに限らず評論家とか言うヤツらは例外なく胡散臭いのではあるが、こいつはピカイチである。今ではもうほとんど読んでいないとはいえ、一時期は結構ライトノベルを読んだ身である。こんな人間に喰い物にされるライトノベルが不憫といえば不憫だ。正直いってこれ以上書いても罵倒しか出てこない。

 せっかくなのでライトノベルについてのメモ。集中的に読んだのは1〜2年のことだが、1日に通学時間行き帰りの2時間を使って1日に2冊ペースで読んでいたのでライトノベルだけで1000冊は超えているはずである。一時期オンラインゲームに熱中していた時期があったが、あのときの時間を無駄だとは思っていても決してつまらないとは思っていなかった。楽しい時間を過ごしてもらった対価としてはまあいいかな、ぐらいである。しかしライトノベルにかけた時間は無駄にした気分の方が強い。今ライトノベルに対して思っている感覚は、一時期ハマって収集したけど、今となってはガラクタだな・・・、である。今思えば1000冊も読んだ上で面白かったと記憶しているものは100冊にも満たないだろう。ほとんどは駄作だったと記憶している。それでもすぐ読める手軽さから面白くなくても読めてしまう。一般書だって駄作はあるだろ、というのももっともな話であるがもう少し面白い小説の割合というか、出版するに値するレベルの作品はライトノベルとは比較にならないほど多い。ライトノベルを絨毯爆撃のように上から下まで読んでいくなど今ではとてもできそうにない。何故当時はあんなにライトノベルを読んでいたのだろうかと不思議だったのだが、本書を読んでいてなんとなくわかったのはライトノベルが基本的に感情移入させることを核として持っているということだ。映画でも小説でも基本的に感情移入なんてするものではない。だがライトノベルを広く楽しもうと思ったら感情移入することが不可欠なのではないか。感情移入するから周りが見えなくなってライトノベルにのめり込むことになって、度を超えて読みまくるのではないか。そして感情移入できなくなったら何であんなくだらないものに真剣になっていたのだろうと不思議に思うのである。

 今ではもうライトノベルを読むと言っても完全に特定作者のみである。秋山瑞人冲方 丁。西尾維新奈須きのこ田中ロミオ。あとは相当話題になった場合は読むぐらい。だが何かのきっかけによってまた読み始めることもあるかもしれない。そうしたらほとんどの作品がつまらないと思いながらも読み続ける日々が始まるのだ。全然面白くねぇといいながら読むのは何か矛盾しているかもしれないが、村上春樹がウィントンマルサリスを退屈だと言いながらも聞き続けているのと同じような理由なのかもしれない。中にはきらりと光る面白いものがあるから読み続けていたのだ。1000冊読んで確かに100冊しか面白いものは無かったかもしれないが、100冊は確かにあったのだから。よって上記の文章は決してライトノベルを力いっぱい全否定しているものではない。むしろ好きだからこその罵倒である。