- 作者: 小川一水
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2008/07
- メディア: 文庫
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フリーランチの時代
明るい侵略。最後も地球人類をみんなの同意なしに勝手に体を作り変えてしまう暴挙にもかかわらず、なんだかタッチが軽いせいで笑える。宇宙船の乗組員がどいつもこいつもファンキーなのが理由かもしれない。最初の子も、体の組織がほとんど入れ替わってしまったっていうのに凄い早さで受け入れるし。とんとん拍子で四人ともエイリアンになってしまう。新しいタイプのファーストコンタクトで、こんなのもいいなぁとほのぼのした気分になれる。ここでの哲学的問いは、つまるところ人間って何なんだろうというものだったはずだが、特に決着もつかずに話は流れてしまう。ようするに人間とか宇宙人とか、そんなの関係なくなっちゃったわけだがちょっと卑怯かなとも思う。それにしても長い宇宙の船旅に選ばれる船員が男女同数ってのはSFにおける鉄則みたいなものだが、普通は夫婦かカップルが選ばれるケースが多かったような気がする。この短編みたいに歳の差がありすぎる男女だとつらそうだ。
Live me Me
自分って何だろう、意識はどこに宿るのか的な問い。現実でも科学が発達するにつれて、この問いにも答えを出さなければいけない時が近づいてきている。前半の乙一の短編風味な状況から始まって、自分がいったい何なのかと思い悩むあたりは凄く細かくて真に迫っている。たとえばもう意識は義体にうつっていて、肉体には意識が存在していないのに母親が義体をスピーカーとしか認識していなくて、あくまでも愛情を動かない肉体に向けている時の感情の葛藤とか。
彼ら──誰でもいいけど、母にしておこう──には、こう見えているのだ。ベッドの上の私は身動きはしないけれど、声をかけたり触れたりすれば感じている。頭の中でもがきつつ、懸命に片言の言葉を発している。コンピューターがそれをわかりやすいように翻訳して、私の偽物に流暢に話させている──。
違うのに。
細かいところまで書きこまれていて非常に良かったのだけれども、オチが理解できない。行動をより早くさせるためのマクロが行き着くところまで行ってマクロだけで行動できるようになったっていうのは面白いのだけれども、彼とともに築いてきたこのシステムが強靭に生き続けているから、だから私は死ねないという結論になっている。よくわからん。いや、わかるんだけど納得できないな。
Slowlife in starship
特に書くようなことはないけれども、読んでいてにやにやした。こんな日常も、悪くないのかも知れんな。
千歳の坂も
この短編の題名のあとに続くのは、「一歩から」だろうか。病気にもならず、死ぬ事もないってのは「ハーモニー」だねぇ。実際問題として、病気が完全に駆逐されてしまったらどう思うだろうか。たとえば今じゃもう結核で死ぬ人間は日本ではほとんどいなくなったとはいえ、誰もわざわざ結核になろうとは思わないだろう。同じように病気が無くなったとしても、善くなったと思うだけで決して悪くなったとは思わないかもしれない。死はどうだろう。この短編に出てきたじいさんは、もう体験していないことは死だけになってしまった・・といって死を選んだ。誰もが自分はいつか死ぬとわかっているからこそ、死が怖いのであって、死が無くなってしまったら途端に興味深いものに変わってしまう。人間はだれしもが死への憧れをもっているといった学者(だれだったか忘れた)がいたけれども、なんとなくわかるような気がする。というか昼ぐらいに、なんとなくじゃなくてちゃんと言葉で説明できるようにわかったような気がしたんだけどいざ書こうとしたら何も浮かんでこない。本当に重要なことだったら忘れようとしても忘れられないので、実はたいしたことなかったのだと思うけれど。
「私にそんな一念はないもの。生死は、私の人生に付随するものに過ぎなかった」
何のために生きているのか、という問いに対して。凄くかっこいいと思う。そしてこれこそが今の自分の理想の生の在り方だ。何のために生きているのか、なんて考えずにがむしゃらに生きてみたいと思う。