
- 作者: 西尾維新
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/08/07
- メディア: 新書
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「作家を主役にしたり登場させたりするのは、書き手からしてみれば必殺の作品の時が多い。それに読者は基本的に作家の話なんて読みたがっていない」
こんな感じだった。正直いって何の根拠もない話のような気もする。必殺の作品なんて言っていなかったけれど、まあおおむね似たような意味合いの事を言っていた。それに書き手のタイプにもよるだろう、読者が作家の話を読みたがっているか読みたがっていないかなんていうのは。さて、長い前置きになってしまったけれども本書には作家が二人とその編集者が登場する。小説についても色々語られることにはなるが、やはりそれを書いている本人が小説家だけに物語とは関係なしに興味深い話である。ふむ、確かに物語とは関係なしに、小説家が書く小説家というのは独立して面白いものなのかもしれない。
前回は報告書という形での作中作だったが今回はまた違った、少なくとも自分が今まで読んだことのないタイプの作中作であった。作中の人間が作中の人間に操られているという非常に内向きなメタ構造である。そしてダブルダウンの方ではあまり意味のない男女入れ替えトリックが、さらにまた見たことのないものに生まれ変わっていた。年齢詐称。これもまた盲点といえば盲点だ。しかもちゃんと物語に密接に関係している。さらにはもう一段階発展して探偵が犯人という驚愕のオチ、または禁断のオチまでついている。すべてが前作を上回っている。まあでもただの誤植っていうオチは確かにアっといわせられるけど、ミステリではないよな。最終章に、コズミックから言葉が引用されているのもグッドだ。やっぱりJDC世界とはほとんど関係がないけれども、それでも中で使われているギミックがどれもこれもJDCシリーズを彷彿とさせるものばかりでやっぱり愛はこめられてんのかなー。舞城には及ばないけどなっ。そーいやイラストも変わっている。ほされたのかどうか・・・。総括としては、短いくせにまとまっていて西尾維新さすがだなと思わせるに足る出来だった。でも──←これ使いすぎ。今まで西尾維新の作品を読んできて一回も──が邪魔だな、なんて思ったこと無いのに、この作品ではやけに多用されていて真剣に意味を考えてしまった。そもそも──
こんな──棒二本に──どういう──効果があるのかその時の私にはまだ知るよしもなかった──。
うん、確かに何らかの効果があるのは、読んでいてわかるのだけれどもそれにしたって多用するのはどうかと思うんだよな。──ってのはどこで読んだか忘れたけれども、京極夏彦が多用することから京極棒と呼ばれているらしい。