基本読書

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熊の場所/舞城王太郎

熊の場所 (講談社文庫)

熊の場所 (講談社文庫)

 舞城王太郎作品には太い幹がある。どっしりと構えていて、どの作品からも太い根本があることを想像させる。それは多分人間賛歌なのだろうとこの作品を読んでいて思った。ここに収録されている三編の短編はどれも違った風味を持った作品たちだけれども、根っこにあるのは闘え、という共通のテーマである。熊の場所は恐怖を打ち消すには恐怖のところに戻らねばいけないといって、バット男ではイジメられているだけじゃダメだ、ただ殴られているだけじゃだめなのだ、といって闘いへの意志を灯し、ピコーン!では直接的な表現で伝えるというよりも、登場人物の圧倒的なまでの感情の流れで行動せよと訴えかけてくる。特に最後のピコーン!では舞城王太郎の一つの特徴、持ち味でもある圧倒的なスピード感のある句読点が一切ない感情をそのまま書き写したかのような文章でさいしょから最後まで引っ張りつづける。長編だと分量的にこのスピード感を維持し続けるのは無理なのだろうけれど、短編なら最初から最後までこれを維持できるようだ。内容的にはかなり説教くさいというか、舞城王太郎の書く世界は基本的にキレイすぎるとは思っていたのだが、熊の場所はまた違った風味で楽しませてくれた。キレイすぎるというよりもストレートすぎるのかな? 伝えたいことをそのまんまド真中直球ストレートで伝えてくるばっかりに、説教臭いと感じることもあるのかもしれない。

熊の場所

 表題作でもあるこの作品。この作品に現れている感情の動きに、同意とも共感とも取れない複雑な感情を抱いてしまうのである。要するに死に対する欲求、だろうか。自分を殺そうと興奮している人間が自分のそばにいる中で、恐怖で打ち震えるでもなくただ殺される側も興奮を感じているその状況に死を間際にした時に、人は自分の死の残り時間を計算しその残り時間で精いっぱい生きようとするだろう、五分だろうが五時間だろうが五十時間だろうが五百時間だろうが、そこにはあまり差がないような気がするのだ。五分しか時間がなければ、本来生きられるはずだった五百時間分を一分につき百時間割り当てて、精一杯死の間際まで死を意識しつつ生きつづけるのではないか。ここでのテーマは恐怖から逃れたければ、できるだけ早く、恐怖の場所に戻らなくてはならないだ。死が恐怖ならば、その恐怖から逃れるためには死に近づかなければならない。この短編の出来は三編の中でもやはりピカイチといっていい。

バット男

 バットマン。バットというとオブ・ザ・ベースボールを思い出すが、こちらは純粋に武器としてバットは扱われている。バット男に、そのバットでお前をイジメている奴らを殴れ! といっていて、いやいや、バットは野球をするもんだろと凄く常識的に思ってしまったがもちろん問題はそんなところにはない。ここで伝わってくるメッセージは非常に単純なもので、守るべきものを守るためには、相手を撃退しなければならないってことなんだよな。ハチワンダイバーでもいっていたことだけれども、本当に厭ならば、どうしても嫌ならばイジメられっぱなしなんて言うのはあり得ない、本当にいじめられるのが嫌ならば自分で撃退する力をつけなければいけないのだ。何でバット男の語り手役は、イジメられる側でもなくいじめる側でもなく、常に傍観者の立場をとっているやつなのだろうと疑問だった。だがこの傍観者たるがために、自分の幸せな世界を守るために、襲いかかってくる危機に相手を撃退するという手段を取っていたのだ。厄介事を持ってくる大賀に対して、自分も相手も傷つくのがわかっていながらもう来るなというのがそれだ。何かを得るためには何かを捨てなければならない。
 撃退しなくてはいけないのは、何もイジメに限った話ではない。ジョジョの吉良を思い出す。彼こそこの思想の体現者であった。誰にも理解できない自分だけの幸せのために、社会のルールにさからってまで撃退し続けた。

ピコーン!

 いきなり薄切りハムの話から始まって面喰った。それにまったく句読点のない文章は状況描写やらなんやらは非常にわかりにくいのだが、ノリにのって感情を伝える時には凄く効果的に伝わってくる。というかこの短編に限って言えば、最初から最後まで語り手のリズムに乗せられてしまっていて、そしてそのリズムが崩れないところが凄い。村上春樹の世界の終りとハードボイルドワンダーランドから引用して、不断の練習によってのみ能力は向上するという部分だけを解釈して、フェラチオも一緒だ! としてしまうそのアホさには笑ってしまう。この短編に描かれている、つらいことがあってもいずれ記憶から薄れていくし頑張って生きていこうという結末は特に新しいものでもないけれどやっぱりキレイすぎるといえばキレイすぎるんだけどやっぱりやっぱり説教臭いといわれれば確かに、とうなずかざるをえないのだけれども、やっぱり舞城王太郎の作品が好きだなぁとこの気持ちのいい終わり方を読んで思うのである。面白いなぁ舞城。