基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

上で戦うには。

 色んなジャンルにおいてプロになるためには、何を必要とするのかふと考えてみた。一流の料理人になるには、技術も当然必要だがそれ以上に舌の感度が重要らしい。舌が味の狂いを見つけ出して、修正できてこそ一流ということだろう。音楽家だって音の狂いを自分で理解できないと狂ったまま演奏する羽目になるし、イラストレーターだって眼が異変を理解できないとデッサンが狂ったままになるし、要するにプロにとって一番重要なことは、これは違うぞ! と察知する能力があるかどうか、ということだろう。小説家や漫画家は、何が面白いかなんて決まっていないが少なくともここがダメだ! ということを判断する能力があればプロになれそうな気がする。どんなものがウケるか、なんて誰にもわからないけれど、少なくともダメか、それとも良いかを理解出来ていればいい。何しろ正しい目標地点さえ見えていれば、進み続ければいつかはたどり着けるはずだから。サルだって時間をかければ適当にタイピングしてシェイクスピアが書けるのだから、人間ならばいわずもがな、何度も何度も修正して修正して目標とする面白いものへ近づけていけば、いつかはたどり着けるはず。なんらかのプロになりたいと思ったらその分野に対する観察を客観的に行うことが絶対条件ではなかろうか、などとつらつら考えていた。ジョジョ第五部のあの名言を思い浮かべながら。

 わたしは「結果」だけを求めてはいない
「結果」だけを求めていると人は近道をしたがるものだ・・・
「大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている」
「向かおうとする意志さえあればたとえ今回は犯人が逃げたとしても いつかはたどり着くだろう?向かっているわけだからな」

 問題は向かっている場所が、正しいとは限らないにして、少なくとも間違った方向だとすべてがおじゃんだということである。間違った方向に向けて努力をしないことこそが、全ての分野にとって必要なのだろう。小説家になりたければ一万冊本を読め、そうすれば他に何もしなくても作家になれるという言葉もあることだし、誰か実践してみればいいのだ。もっとも一万冊本を読むのには、一日一冊本を読んでも30年近くかかるわけである。遠い道のりである。しかし味覚は幼いうちに決定されてしまってほとんど感度があがったり下がったりすることはないというし、音楽に関しても絶対音感とかいう卑怯な才能があるわけで、そういった意味じゃあ時間さえかければ誰でも作家になれるわけだから問戸は広いといえるかもしれない。ランクが低いといえるのかもしれないけれど。