基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

補給戦―何が勝敗を決定するのか/マーチン・ファン クレフェルト

補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)

補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)

軍隊が戦闘の緊張に耐えるためには、まず第一に不可欠の条件として武器、石油、弾薬を十分に貯えることである。実際のところ打ちあいが始まる前に、戦闘は兵站商工によって行われ決定されるのである。いかなる勇敢な兵士といえども銃なしでは何事もなしえず、銃は十分な弾薬なしには何事もできない。だが機動戦においては、車両とそれを動かす石油が十分になければ、銃も弾薬も大して役には立たない。保守修繕も、敵のそれにたいして量的にも質的にも同等でなければならない。

戦争において兵站が全ての元となっており、それを部下の兵士たちに供給するのが指揮官の絶対果たすべき任務の一つである、こういった考え方を自分は佐藤大輔から学んだ。。彼の作品を読んで、なるほろ兵站というのはそんなに重要なんじゃな! と一人納得してはいたが、兵站がどのようにして運ばれ、またいかなる障害が立ちふさがり、補給が行えないことによって何が起こるのか──、それが本書にはつまっている。というよりも、それしか詰まってはいない。ここでは名将が敵を打ち負かすカタルシスなど皆無であり、ただどこどこの戦いでは兵站がこれだけあってこうやって輸送して…などといったデータが連なっているだけである。ひたすら地味で、奇策で部隊全員に兵站がいきわたった! なんていう感動は繰り返しになるが、無い。兵站が届くのは当然であって、届けられたからといって感謝も感動も巻き起こらない。故に地味である。だが現実的に考えて縁の下の力持ち、地味なところこそが重要であり、しっかり吸収して活用しようと思うならば非常に有用な一冊である。実生活における兵站術として読んでも面白いかもしれない。たとえばこことか。

「戦争とは残酷なものだ。そこでは決定的な場所に最大の兵力を集中することを知っている者が勝つ」とは、ボロジノの戦闘を前にして瞑想したナポレオンの言葉だと言われている。あるひとりの人間の判断に基づいて、この決定的場所を見分けることは、天才がなしうるところか、さもなければ全くの偶然によるかのどちらかであろう。しかしながらひとたびその場所が確認されたなら、そこに兵士と資材を投入するのは、基地や補給線、輸送手段、組織──要するに兵站術の問題である。

漫然と生きている人は何らかの分野で最大の成果をあげることを勝利と考えた場合、負けているといっていいだろう。だがひとたび自分が賭けるものを見つけたとしたならばそこに自分の持っている資源のすべてを注ぎ込むこと、どれだけの資源をそこにつぎ込めるのか、これらは全て兵站術といって差し支えない。実際の勝敗は時の運などではなく、勝負が始まる前についている。無理に当てはめるとこんな感じになるが、普通に読んでも面白い事は言うまでもない。

戦史家の怠慢、といった序章で幕を開ける本書はタイトルが示すとおりに、今までの戦史家がどれだけ兵站面に注目してこなかったかが浮き彫りになっていく。主観が入り込まないようにデータのみを基準とし、客観的な立場によって書かれた内容は資料的価値が高い。また兵站だけに注目し、いくつかの戦闘を扱った本は数が少なく、それも加味してこの本の価値は計り知れないものとなっている。文庫にもかかわらず1500円するのだが手元に置いておきたい一冊。この本がなければ兵站について一生何も知らずに過ごしたかもしれない。それで何か問題があるとは思えないけれど。補給が軽視されていたのはあくまでも戦史家の中だけであって、実際の戦争を行う人々の間では非常に重要視されていたのがわかる。綿密に準備され、予測は立てられてきたのである。だがそれでもいざ戦争が始まってみれば問題が頻出するのは何故かといえば、戦争はそういった問題が頻出するのが当然だからである、と著者は書いている。多くの人が関わり多くのモノが流れる以上、本来なら大事には至らないような失敗がうず高く積み上がり大きな失敗になっていくということだろう。そのせいで厳密に兵站を管理しようとすればするほど不慮の事態ですぐに使い物にならなくなり、計算は崩壊していき、かといって幅を持たせたとしても失敗は起きる。兵站術とは無間地獄のようなものである。時には作戦は楽観的すぎ、時には悲観的すぎと数々の戦争を読んでいくのは面白い経験であった。難点といえば訳がひたすらに読みづらいことと、地名や作戦、人名などが何の注釈もなく頻繁に出てくるので状況を把握するのに時間がかかることだろうか。在る程度の戦史マニアならばどれも身近なものだろうが、何の気なしに手にとり読み始めるのは難しいかもしれない。