神のみぞ知るセカイ―神と悪魔と天使 (ガガガ文庫 あ 4-1)
- 作者: 有沢まみず,若木民喜
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2009/05/20
- メディア: 文庫
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ネタバレ無
著者の有沢まみずさんの作品。確かいぬかみっを一巻だか二巻だか読んだ記憶がある。内容に関しては何一つ覚えていないが、凄く文字が少ない正統派ライトノベルだったような。それこそあかほりせんせーがおっしゃる通りに、ライトノベルらしいライトノベルであった。
ああ、ただし桂馬とエルシィが何でこんなことやっているのか、など説明がないので原作未読の人間はさっぱりわからないと思う。いやでもそんな難しい設定があるわけでもないから、意外と何にも思わないかもしれない。原作既読なので判断不能。しかし神のみぞ知るセカイ、紫がよくマッチしている。
さて、内容はというと、あまり期待していなかったにも関わらずなかなか面白いではないか。文字で出来ることをやった、有沢まみずの色を出した、というよりかは、普通にちゃんと神のみぞ知るの中のワンエピソードとして成立していたように思う。著者の色も(まったく知らないけれど)感じる事はなかった。最初は桂馬の性格ってこんなんだったかぁ〜?? と疑問だったが後半は割とすんなりと受け入れられる。なんにしろ大抵のノベライズというのは、最初は受け入れられないものである。Fate/zeroだけは例外で、あれはほぼ完璧なトレースだった気がする。
ふと、何故初日に買ってきたのかと疑問に思った。
原作は、サンデーを毎週買っているので読んでいるだけであって、別に有沢まみずのファンというわけでもないのに何故今読んでるのだろう。不思議だ。帯には最旬コラボと書かれている。確かに話題沸騰、といった感じで本屋でも大量に積まれているし、発売される前から各所で宣伝を見ていた。つまるところCM力に負けたのか。いや、面白かったから何の問題もないわけだが! 以下ネタバレ有
ネタバレ有
当然原作ではまだ使っていないネタで攻めてくると思ったが、同時攻略が来るとは思わなかった。あと同時攻略だとお決まりの修羅場! 修羅場(いうほどじゃない)があっただけで興奮したね。
同時攻略といえば、サンデー購読派としてはかなりタイムリーな展開である。ほんの数週間前に「僕はルート決め打ち派だからな…」といっていた桂馬がしっかり同時攻略もこなしているのは面白い。しかしどう考えても二人目の攻略の尺が短すぎ、前振りに対してあわただしい展開になっていたのはどうなのだ。突然トラウマを長々と説明し出した時には、何故自分はナルトを読んでいるんだろう? と思って愕然としたぞ。
最初の構成からこうなっていたのか、尺的な都合でこうせざるをえなかったのかはわからないがちょびっと残念であった。うーんしかしギミック的には双子入れ替わり、がメイントリックだったのだから双子に話題が集中するのは仕方ないのか。あと疑問であったのは桂馬との修羅場場面に電波チャンが立ちあうのが二度とも、電波系はどこにいるか予想がつかない──なんていう理由として正しいのか正しくないのか微妙なものだったのはハテナだ。
テーマ的なものはガッツ石松を思い出したよ。
母さんはもう死んでしまったが、母親が子供を信じてくれるという、 母親でなくても
誰かが信じてくれている、それだけで、子供は自分を信じて努力して行けるんだ。
だから、君たちが まけそうになったら、友達や家族を思い出してほしい。
そして友達や家族が負けそうに なっていたら、彼のことを信じて励ましていてほしい。
それだけで、何でも できるようになるんだ。そういうことを彼らに伝えてあげたかった」──アルファルファモザイクから引用
桂馬は、必死に空気を読もうと頑張っている吉野に向かって空気なんか読まなくてもいい、誇り高く孤立すればいいじゃないかという。重松清の「疾走」では、「孤立」と「孤独」と「孤高」の違いについて書いているところがある。仲間が欲しいのに誰もいない「ひとり」が、「孤立」。「ひとり」でいるのが寂しい「ひとり」が、「孤独」。誇りのある「ひとり」が、「孤高」。ステップを踏んでいくのはなかなか難しいぞい。たとえるならば100メートルを11秒で走れる人が、走るのが遅い人に向かって君も早く走ればいいと言っているようなものであって、言われた方も困ってしまう。正しいのだが実現困難なのだ。だからこそ吉野はそんなことできねーよファッキン桂馬! と叫び(意訳)落としどころとしてガッツ石松理論を持ち出したと。
そういやどうでもいいけど桂馬って自分から落とし神と常日頃自称してたっけ?