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プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?/メアリアン・ウルフ

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

 読書の真髄は、孤独のただなかにあってもコミュニケーションを実らせることのできる奇跡にあると思う。  ──マルセル・プルースト

雑文

 ちなみにタイトルの『プルーストとイカ』の部分は釣りでした。ほとんど出てきません。いや、ちょっとは出てくるんですけど、おまけキャラクター程度ですね。特にイカなんて本書の中で数えるほどしか名前を見かけませんでした。さて、問題は副題の読書は脳をどのように変えるのか、という部分で、実際にこの本を手に取る方はこちらが気になるんじゃないかと思います。自分もそうでしたから。元々文字を読むというのは脳についている機能じゃないんですよね。よって、文字を認識するという行為は脳の本来は別の役割を果たしていた部位を総動員させて認識する、とても脳を各方面で使用する訓練になるのです。読書は素晴らしい行為です、ですが素晴らしい面だけを持っているものはない──なんてういうのが、本書の主なあらすじではないでしょうか。

 また著者の子どもが読字障害ということで、読字障害についてもそれなりに紙面が割かれています。脳についての本ということで、ところどころ専門用語…というほどでもないのですが、理解しづらい単語が頻出することがあります。シュメール語やら、アルファベットの成り立ちなどは正直学校の授業を延々と聞かされているような退屈さだったのですが、ソクラテスが書き言葉の普及に猛烈に反対した話や、エジソンダ・ヴィンチアインシュタインも読字障害だった! などという話はわくわくするし、なんともちぐはぐな印象を受けます。内容的にはおおむね満足しました。

ただ本を読ませればいいってもんじゃない

 よくあると思うんですが、親やら学校やらが教育にいいからという理由で子供に本を強制的に読ませる行為。あれはとても不思議でした。何も本を薦めるなと言っているわけではないんですけどね。現に自分も親から勧められた『竜馬がゆく』を読んで、読書にハマったわけですし。しかし明らかに学校やら親やらがすすめてくる時は、立派な人間になるために、というニュアンスが含まれている。別に本をたくさん読んだからって立派な人間になるわけじゃありませんよ。自分がいい例ですけど。また子供に無理をいって読ませても何の意味もありません。無理に読ませても、そこにはただ無機質なあらすじを読んだという結果しか残らないでしょう。

 読書の真髄とは、本を読んで、そこから何を考えたか? というところにあります。ただあのキャラクターが死んで、あいつは生き残って、最後はハッピーエンドだったというのは読書であって読書ではないのです。学校がしいている読書感想文なんていうアホなものはそんな表面的な読書を進めているだけで、実質何の役にも立っていない。学校が終わった後の掃除当番の方が、まだ社会性を営む上で役に立っているぐらいですよ。ソクラテスが文字を書き残すことに猛烈に反対した理由は、自分自身で考えることを阻害するからだという理由からです。今の大学のレポートのように、出された課題をWikipediaから丸映しにする、そんな何の勉強にも創造にもつながらないただのコピーをして誰も考えなくなってしまうと考えたんですね。本に書いてあるから忘れても大丈夫だ、といって覚えるのをやめると。さらに、検索して簡単に情報を得て『わかった気になってしまう』のが問題だといっている。

 言いたい事はつまり、本を読むことを推奨するならば、本の表面だけをただ読むのではなく、読み、そこからさらに解釈を加えることを教育しなければならないということです。何故この人物はこの場面でこれを言う必要があったのか、それを聞いた登場人物がいったい何を考えるだろうか? そういった細かいことを想像し、考えることに意味がある。別に作者が考えたことを当てろと言っているわけではないのです。自分なりの考えを持たないと意味がないんですよ。どうせ作者の考えた通りに本を読むことなんて不可能なんですから。