- 作者: 清涼院流水
- 出版社/メーカー: SDP
- 発売日: 2009/06/29
- メディア: 単行本
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愛は祈りだ。僕は祈る。──好き好き大好き超愛してる/舞城王太郎
本書のタイトルには、「忘れていく愛」という意味以上に、大切な感情をいつまでも「忘れない」「忘れたくない」という祈りにも似た気持ちを込めています。この本が、あなたの人生における「忘れてしまった愛」や「忘れたくない愛」、「ぜったいに忘れないつもりの愛」について考えるきっかけとなりましたら幸いです。──『忘レ愛』あとがき。清涼院流水
感想
本書は清涼院流水が書いたケータイ小説であり、純愛ミステリーでもあります。わざわざ引用したのを読んでいただければわかると思うが、舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる』を彷彿とさせる内容でした。どちらもスタート時点で、愛する人の存在を失っています。死んだ恋人から手紙が来るのが『好き好き大好き超愛してる』ですが(だったはず)死んだ恋人からメールが送られてくるのが『忘レ愛』です。ただ当然その方向性は全く違っていて、本書のテーマは『人は愛情を保ち続けることができるのか?』であります。中学生ならまだしも高校生、さらには大学生にもなれば愛情は保ち続けられない、と判断するのが当然といえましょう。人間は忘れ続ける生き物ですし、また忘れることが出来るから生きていけるのだともいえます。また少なからず別れも経験してきたことでしょう。そういったことを全て踏まえたうえで、エピローグの爽快感のある終わり方まで持っていくのが御大のひねくれたところであります。短いながらもとても満足度の高い一冊でした。山場がすぐに来るので読むのがやめられない。
さて、本書は純愛ミステリーであり、ケータイ小説だというのは前述したとおりですが、見事にケータイ小説してます(なんだこの使い方)。自分は他にはケータイ小説とやらを読んだ事はないのですが、イメージしていたケータイ小説とそっくりで色んな意味で驚きました。何にって、御大がそんなものを書けることにですよ。正直読み終わった後表紙をまじまじと眺めて、そこに著者の名前として清涼院流水とクレジットされているのがとても似合わない…それはギャグで言っているのか? とでもいいたくなるような。狐に化かされたような、というのが一番正しいかもしれません。それぐらいなんというか…意外性があり、妙に爽快で、とても不思議です。
語り手の女の子は16歳であり、彼氏との永遠の愛などを誓っております。その心情描写が下手ならばそれはもう納得である。表紙に清涼院流水とクレジットされていようが疑問もわかない。しかし、これが上手い。ちょっとこれだけ書けるのは成人男子としてどうなの、と心配してしまうぐらい上手い。時が経つにつれて、忘れたくなくても忘れていってしまう気持ち──その不安と、どうしようもなさ、無力感がとても素直に表現されている。いやまったく素晴らしい。これはちょっと感動ものです。読んでいる間は思わず考えこんでしまう。忘れない愛なんてものがあるかどうかについて。見事に作者の策略にハマっているといえましょう。