基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

小説の自由/保坂和志

小説の自由

小説の自由

 小説とは何か? 小説とはどうしてこういう形態なのか? なぜ人は小説を必要とするのか? ということを真剣に考えている人に向かっては、私は私に書けるかぎりの力を振り絞って、毎月真っ正面から応えるつもりで書いてきたし、今もそれをつづけている。(まえがきより)

雑文

 本書は『世界を肯定する哲学』『書きあぐねている人のための小説入門』などで知られる保坂和志氏の『小説論』であります。芥川賞作家でもあって、感性で美文を紡ぎ出すというよりも計算づくで、意図して文章を組み立てていく作家といっていいと思います。などと作品を読んでもいないのに偉そうにのたまっているわけですが、本書には小説論などといいながらも途中で短編が挟まれたりしているので、一応読んだといえば読みました。

 最初に引用した中でも『毎月』と言っているように、「新潮」で毎月連載中の「小説をめぐって」という記事を十三回分まとめたものが本書「小説の自由」でありましてからに。それがもう、内容が濃いのなんのって。毎月真っ正面からという言葉にウソはなく、読み手としても気力を使わされる読み物でありました。正直ちょっくら小説のことに勉強してやらーぁ! みたいな軽いノリで読めるものではありません。というのも本来これは連載でありまして、一か月に一回ずつ読むものだったんですよね。それがこうして一冊の本にまとまってしまうと、ノータイムで次の回が襲いかかってくるわけですからその難易度の高さはいわずもがなというところでしょうか。

 こういう形での「小説論」というのはとても珍しいのではないかと思います。少なくとも自分は読んだ事がありません。といっても読んでいない方には全くわからないでしょうが、えーと、たとえば小説の書き方! とか、創作とは! とか、そういった本は結構ちまたに溢れかえっていますよね。最近プルーストとイカ─読書は脳をどのように変えるのかなどを読みましたけれど、これも小説がどうというより文字が脳に与える影響がメインですし。小説を書くことに限らず、小説ってのはそもそも何なんだよ? ということに真っ向から挑んだのが本書なのです。読んでいると思わず小説を書き出したくなってしまうので、御使用御用法には注意を怠らないように。

小説について語ることの難しさ

 自閉症の人間は「犬」や「机」など物として眼で見えるものは理解出来るけれど、「愛」や「正義」などの目に見えない名詞は理解することができないといいます。たとえば誰かが机に向かってあれは犬だ! と発言していたら、すぐに訂正することができます。犬というのはこれだよ、と実物を見せてあげればいいわけですから。しかしこれが「愛」などになってくると、別です。誰かがこれは愛だ! と叫んでも、誰もいやいや、それは違うよ、これこそが本当の愛だよ、などとは示せないのです。愛というのは解が出ない問いなのですね。小説について語ることは愛について語るようなものだと言えるでしょう。小説とは何かという答えがでない問いに対する模索に、本書では真剣に挑戦しています。しかしその表現できないことを無理やり表現しようとしているせいか、文章はところどころ回りくどく、話は脇道にそれまくり、引用は多岐にわたり(特にカフカアウグスティヌス非常に読みづらいです。

百年の孤独の読みづらさ

 百年の孤独の話が本書の中には幾度か出てきています。百年の孤独とはガルシア=マルケスの代表作とも言える本で、ある一族の百年間の興亡を書いた傑作なのです。それについての保坂和志の話がなかなか面白い。百年の間、一族をずっと書き続けるわけですが、彼らは意図してどいつもこいつも同じ名前をつけるんですね。なので普通に読んでいると絶対に混乱するんです。現に自分も読んでいて頭の中に?マークが大量に浮かび上がってきました。それで、何度も本についていた家系図を見るのですが、本来それはついていなかったものなのです。

 で、それは何故かというと保坂和志が言うには、「分かりづらくしているのも作者の意図通りだ」ということになります。実際わかりづらいことは確かなんですけれど、少し戻って読み返せばちゃんと理解できる構成…というか文章になっているんですよね。それをガルシア=マルケスは狙ったのだといいます。だから家系図を本につけちゃうのは、その作者の意図を無に帰す行為なのですね。で、話はようやく本書に戻るんですけれど、この本の読みづらさも同じようなものなのではないかなと。正直なところ、流し読みだと何一つ頭に入ってきませんよ。内容を把握しようと思ったらじっくり読まざるを得ません。『世界を肯定する哲学』などは読みやすかっただけに、この読みづらさはかなりのところ意図的なものであると思います。

小説を書きたくなる

 それは何故か? といわれても結構簡単に答えられます。必要なものはすべて本書に書かれているからです。食材まではさすがに置いてありませんが、食材はあなた自身の中にあります。ここに書いてあるのは調理法を克明に書いたものですね。そして、読めば書けるようになるのですからその人は当然書きたくなるでしょう。筋肉ムキムキの人が自慢の筋肉を人に見せたくなるように、ワンピースで能力者が田舎でひっそり暮らしたりせずにみんな海賊になるように、書けるようになったら書きたくなるのが当然の心理です。とっても面白いですよ

 「いまの自分が小説を書いていなくても、このような本を読んでいろいろ考えをめぐらせるのは小説を書くのと同じことだと思います。」──あとがきより