基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

墜ちていく僕たち

墜ちていく僕たち (集英社文庫)

墜ちていく僕たち (集英社文庫)

 この深さとぼくとのあいだに、身をささえる木の根もなければ、屋根一つ、木の枝一本ありはしないので、いつしか拠所を失って、ぼくはダイビングする人のように墜落に身を任せていた。(『人間の土地』/サン=テグジュペリ)

エピグラフについて

 唐突ですが僕は本についてくるエピグラフによって本を読もうかどうか決めることがよくあって、本書にしても最後の決め手は上記のエピグラフでした。というのも、本書は表紙がバキみたいなキモい絵柄だしタイトルもパっとしないし、なんかあんまり気乗りしないなあ…などと思っていたのですね。そうはいっても、自分的には森博嗣にハズレがないことは散々読んできたので知っているし、とりあえずちょっとだけ読んでみようかな、というところで目に入ってくるのがエピグラフなわけです。表紙、タイトル、の次に読むのはエピグラフ、実は結構重要なのではないかと思います。日本の作品にはあまりエピグラフって、使われていないですよね。本の最初の、○○に捧ぐ、みたいなのも見られないですし。もっとみんなエピグラフを使ったらいいと思うのですよ。

かんそー

 五つの短編からなっていて、どれも語り手は違うのですが、ほんのかすかな繋がりがそれぞれに見られる短編集です。たとえば最初の短編の語り手を、他の短編の語り手が観察している…などといったゆるやかな繋がりですね。それとは別に、本書に一本軸を通しているのは『性転換』のギミックです。これは何故そうなってしまうのか、という理由は示されず、ただそうなってしまうだけなのですが、『性転換』されることによって当然様々な問題が巻き起こるわけであって、そこが本書最大の見所と言えるでしょう。ある人は性転換が起こったことによって、ズブズブと人間として落ち込んでいき、またある人は性転換が起こったことによって非常に舞い上がってうっひゃー! などとハッスルしている時に悲劇が巻き起こります。個人的には二つ目の短編と最後の短編が非常に良かったですね。

 どの短編も人間が多種多様で森博嗣の幅の広さがうかがい知れます。語り口調も、読者に語りかけてくる感じ『ライ麦畑でつかまえて』のあの調子で、とんとん拍子に進んでいきます。多種多様な人間の視点を一冊の中でグルグルと交代できるのも、この文体故かもしれませんね。たとえば口調を女子高生っぽくしただけで、言っていることが親父臭くてもそういうもんかな? と錯覚が起きてしまうものですから。性転換の話に戻ると、考えてみたら普通に友人づきあいをしていても、相手が本当に男か、あるいは女かと直接確かめる機会はほとんどないわけであって、何のきっかけか突然性転換されてもひょっとして最初からそうだったのかも…? という疑いは捨てきれないですよね。まずその着眼点が良い。

 いまさらですが、非常に、非常に面白かったです。森博嗣の本はほぼ全部読んだ、といってもいいぐらい、少なくとも9割は確実に読んでいますが、その中でも五本の指に入る面白さでした。森博嗣の色々な作品のいいところが一冊に凝縮されているような…そんな印象。詩的な部分があり、Vシリーズの軽妙なセリフの掛け合いあり、オチよし、まるでエッセイの時のような筆のすべりの演出よし、とにかく五つの短編が、それぞれ個性を放っているのに、一冊の本としてまとまっているのが素晴らしいのです。思わぬもうけものでしたなー。以下ネタバレ

舞い上がる俺たち

 二つ目の短編が凄い。舞い上がる俺たち、という題で、二人の女性が男に変わってしまう話なのですが…。語り手は、男になりがっており、男になったことによって非常に舞い上がっているわけですよ。そのせいか、もう一人がなにを考えているのかまで深く踏み込んだり、考えたりするところまで余裕がない。なにしろ自分の人生が壮絶にうまくいっている時っていうのは、落とし穴もなく、壁なんて無いような気分になってしまうものですから。何度も経験しているのでわかります。そういう時に、他人を気遣うのはなかなか難しいことです。まあそんなこんなで、一人が舞い上がっている間に、もう一人は自殺してまうんですなー。そして、死ぬ直前に『生まれ変わるとしても、人間は重いから、体重の軽い猫になりたい』なんてことを言っていたんですな。死んでしまった後ふと、残された語り手が部屋の窓を開けると・・・そこには

 「モッチャン」と呼ぶと、
 猫は一度だけ顔を上げた。
 可笑しい……。
 私は笑う。
 一人でくすくす笑いだよ。
 なんでか知らんけど。
 そのあと、
 涙がしばらく止まらなかった。
 猫を抱いてやった。
 馬鹿野郎。
 ホントに軽くなってんの。

そこはかとなく怪しい人たち

 オチが秀逸。今までぜんぶ性転換ネタが使われてきて、TACK−BOCKのファンである真由子が性転換したかと思わせておいてのすり変わり落ち。言うまでもなくTACK−BOCKといえば、スバル氏もハマっているBUCK-TICKのパロディであって、真由子さんのモデルも恐らくスバル氏でしょう。そのスバル氏だけが、性転換ネタにもとらわれずに自由奔放に本書でも振る舞っているのをみて良いなーと思いました。