基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

トーラスの戦い―グイン・サーガ(15)

 ついにモンゴール軍が壊滅。あまりにも呆気ない幕切れ、といってもいいかもしれません。アムネリスの兵5万はスカールによってぼこぼこにされ、抗戦するかと思いきやモンゴール公崩御、即座に戻ってみれば裏切り、さらにはスカール部隊の執拗な追い打ちによりアムネリス部隊壊滅。一夜にして築かれた王国はやはり一夜にして崩れるということか。モンゴール公が往年の気力を一瞬だけ奮い立たせてこれからガッツンガッツンやったるでぇー! と気概を見せた所はうおおおお! と盛り上がったのですが、まさか死ぬ直前のちょっとした盛り上がりだったとは…。しかし死ぬ前に突然昔の気力が戻ってくるとか、ふっと体が楽になるなどという話はよく聞きますのでかなり現実味のある話ですね。あとはまあナリス様がイシュトヴァーンと打ち解けてみたり、イシュトヴァーンがやっぱり(´・ω・`)となってたり、そっちはそっちで面白かったのですが(ナリスの夢を見てしまったが故の孤独というのはなかなか。というかこの辺、栗本薫自身と重ね合わせて読んでいたのでちょっとウルっときたような。栗本薫もナリスに近い、とあとがきで書いておるのであながち間違いでもないかと)それよりもあとがきが良かったです。何しろ次の16巻、パロへの帰還で、ようやくグイン・サーガの導入部が終わりを告げるんですね。そのせいか異常にセンチメンタルなあとがきになっているわけで。少し(でもない)引用してみましょう。

 グイン・サーガに「テーマ」というものがあるとすれば、「時」──それこそが、真の、グイン・サーガのテーマであり、また主人公であるのにちがいないのです。百巻の物語が完結するとき、かつて若かった人びとは年老い、あるひとは野望にやぶれて若くして死んでゆき、あるひとは苦難にあってもつよくしなやかに心やさしく生きてゆき──たくさんの人びとが死んでゆき、しかしその空白を埋めるようにかれらの子どもたちが生まれ、育ってゆき、そしてまたその子どもたちも老い──
 そういう物語をこそ、私は書きたかったのだと思います。

 残念ながら栗本薫本人の手で完結させることはできなかったグイン・サーガですが、このときはまだ栗本薫本人は当然として、読者だって完結を疑ってなどいなかったでしょう。自分が生まれた時にはもうすでにグイン・サーガはあって、それから何十年かしてこうして少し大人になった時に、グイン・サーガを読んでいる。まだ生まれてきていない誰かも、何十年後かにグイン・サーガを読んで、ここで感動を受けるかもしれません。時間というのは非常に、不思議なものであると思います。グイン・サーガという物語の中でも、当然多くの人が生まれて、死んでいくのでしょうがそれは読んでいる方も同じなんですな。