基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

国のない男

国のない男

国のない男

 唯一わたしがやりたかったのは、
 人々に笑いという救いを与えることだ。
 ユーモアには人の心を
 楽にする力がある。
 アスピリンのようなものだ。
 百年後、人類がまだ笑っていたら、
 わたしはきっとうれしいとおもう。

 カート・ヴォネガットのエッセイ集。ほんの150ページ程しかないのですが、それでこの本の価値が下がるというものでもない。むしろその分密度は濃いといってもいいぐらいだ。最初に引用したように、カート・ヴォネガットはユーモアを愛した作家だった。人類をバカにし、見限っているヴォネガットだがそれが嫌味にならないのはこのユーモアセンス故だろう。ユーモアが成立するためには、ただ笑えるだけではなく、そこには何か悲劇的な要素が必要なのだとヴォネガットは書く。カート・ヴォネガットは空襲に遭遇し、地下室に避難し、また出てきた時に街の惨状を目にし、声をあげて笑ったという。笑いとは恐怖に対する生理反応なのかもしれない。

 これはまったく関係ない話かもしれないが、テニスの王子様という漫画がある。ほとんどの人は知っていると思うが、この漫画はただのテニス漫画ではなく、超人テニスとでもいうべき内容で人は空を飛び、超能力じみた必殺技を使うのだがこれを読んでいるとひたすら笑いがこみあげてくる。そしてそれは『理解できないもの』に対してどう反応していいのかわからないから笑うのであって(実際に漫画を読めばその意味がわかると思う。なんなんだこれは、と愕然として笑いがこみあげてくるはずである)、何が何だかわからない、どう反応していいかわからない時に人は笑うのではないかと思う。ヴォネガットが言っているのも、そういうことではないのか。

 すべてが笑い飛ばせるかといえばそうでもない。現実にはとことん絶望的な状況があるわけで、そういった時には当然笑いはこみあげてこない。ただそういった場でもジョークは素晴らしい。たとえ誰ひとりとして笑わなかったとしても。ジョークを言えるということは、少なくとも生きているということなのだから。本書にはヴォネガットの良い言葉が山ほどあって、最初はそれを引用しようかと思ったのだが結局のところ↑に書いた事に集約されるのではないかと思い、やめた。『百年後、人類がまだ笑っていたら、わたしはきっとうれしいと思う』これがヴォネガットが一貫して書いてきたテーマなのではないかと。笑いとは、一人ではつまらないし起こせない。人に優しくしろ、と愛は消えても親切は残る、と。

 そういえば初めてヴォネガットを読んだ時、ユーモアに定評のある作家ということで当然笑えるのだろうと思って読み始めたのですが、みょーに暗くて、笑いどころがいまいちわからなかった。ブフッと吹き出すというよりかは、じんみりシミ渡ってくる作家だった。その後も何冊か読んだけど、問題が深刻すぎて笑えなかった。たとえば『デッドアイ・ディック』なんかは昔銃を誤射して殺してしまった相手を悼み続けながら、まわりの人間に人殺し! と罵られまくる小説なんです。そりゃあ笑えねえよと思いました。実験だったのかもしれませんね。いったい人間はどの程度深刻なことまで笑い飛ばせるのか。それはそうとして、本書は笑えました。特に作者あとがきの最後の最後が。最後の著作の最後のあとがきが一番笑えるユーモアで締めくくられているなんて、ヴォネガットらしいじゃないですか。