基本読書

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レッドムーン・ショック―スプートニクと宇宙時代のはじまり

レッドムーン・ショック―スプートニクと宇宙時代のはじまり

レッドムーン・ショック―スプートニクと宇宙時代のはじまり

 宇宙へ。というドキュメンタリー映画が現在公開中です。映画は軍拡競争が始まってからの話で、その時アメリカは必死に宇宙に人を送り込もうとしています。本書は言ってみればその前日譚に当たるもので(メディアミックスという意味ではなく)、アメリカが宇宙へ眼を向けるまでのお話です。宇宙へ。は、いい映画だったのですが、ソ連側の描写がまったくなかったので、補完的な意味合いでもとっても面白いです。それから何故か、フォン・ブラウンの名前が一度も(たしか)宇宙へ。には出てこなかったのです。これは非常に不思議な話です。フォン・ブラウンがもたらした功績、ソ連の影響、それらはどちらも驚くほど大きいはずなのに、まったく映画では触れられていないなんて。

 映画との大きな相違点として、本書では政治的などろどろとした部分がいっぱい書かれています。宇宙がいくら権力や、政治闘争とかけ離れた場所だとしてもそこに行くための駆け引きはやはり政治なくして語れません。最初にスプートニクとは何なのかを説明しておくと、ソ連が打ち上げた全世界初の人工衛星のことです。このすぐあとに犬を乗せた宇宙船を宇宙に送り込み、帰還させます。そしてそのスプートニクが宇宙へ打ち上げられ、そのショックが全世界に広まってもアメリカという国はまだ、宇宙の利用価値の高さに目を向けませんでした。フォン・ブラウンは国民へ向けて愚痴りまくり(アメリカはひどい国だ! このままじゃソ連に負ける!と)大衆も宇宙開発へ踏み切らない大統領へ向けてデモを繰り返しと大変な有様です。

 歴史が確定した後の自分から見ていれば、打ち上げに対して費用をまったく用意しなかった上にあとは許可がもらえればすぐにでも打ち上げる用意があるフォン・ブラウンに対して、許可を出さなかったアメリカ大統領アイゼンハウワーはバカとしかいいようがないです。しかしそれはやっぱり人工衛星の有用性を知っている今の時代の人間だからそう思うだけであって、当時からしてみれば判断に苦しいところ。ただの鉄の塊を宇宙に打ち上げて、何の意味があるんだ? と普通だったら思ったことでしょう。大衆はフォン・ブラウンやタイムズに踊らされて、先に人工衛星を宇宙に送り込んだロシアの宇宙技術、科学技術がアメリカを数倍上回っている! といって恐慌に陥るのですが、実際のところロシアもはったり9割といったところでアメリカの科学技術を上回っているわけではないですし。最近ようやくソ連における軍拡競争時の資料が表に出てきて、この間の両国の騙し合いは手に汗にぎるものがあります。正直な話、これが現実だって言われても信じられないぐらい、いろんな人間の思惑が満ちている。自分の権力のために邁進する男がいるかと思えば、宇宙計画を推進するために、ありとあらゆる手段をとって活動している男がいる。そういったわけのわからないどろどろとした思惑の上に積み重なって、宇宙へと人類はたどり着いたんだなと、読んでいて感慨深くなりました。人類が火星へ探査機を送り込めるようになったなんて知ったら、フォン・ブラウンはなんて思うんだろう?