基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ミスター・ヴァーティゴ

ミスター・ヴァーティゴ (新潮文庫)

ミスター・ヴァーティゴ (新潮文庫)

 勢いよく感想を書いてくれと言われたので頑張って勢いよく感想を書く。読み終わって真っ先に思ったのは、自分がこういう作品を大好きなのだということ。こういう作品と一口に言っても、具体的な何かが示せるわけじゃない。頑張って説明すると、子供の時代から始まって、いい事と悪いことがいっぱい起こって、善とか悪とかよくわかんなくなって、段々歳をとっていって、おじいさんになって、次世代の子供へと希望を託して終わるような話だ。特にこの次世代の子供へと希望を託して終わるというのが重要で、これがあるのとないのとではぼくの作品に対しての評価はかなり変わってくる。これが一番最初にいいな、と思ったのはドラゴンボールで、終わり方が投げやりだと結構批判されることの多いこの作品だが大好きなのだ。

 それからダレン・シャンもある。ミスター・ヴァーティゴを読んでいて常に重なって見えたのはダレン・シャンの存在で、だからどうしたというわけではないのだけどたびたび懐かしい気分にさせてもらった。懐かしいのはダレン・シャンのおかげだけじゃなく、ぼくはどうも多くの児童文学と同じ匂いを、この『ミスター・ヴァーティゴ』からかぎ取っているようだった。厳しい人生をかいている、人の死も汚さも。にも関わらずあったかい、と感じるのだ。親が子供にやさしく諭すような空気が、全体に流れている。そのせいか、読んでいる間子供に戻ったようで、どこかに手を引かれて連れて行かれるような感覚がある(現代でこう書くと変質者チックになってしまうが)。それはこの本を最後の一文まで読んで気がついたことだった。そうか、大人になっても空を飛ぶ事が出来るのかと。

 本書はファンタジーで、主人公の男の子は9歳から『空を飛ぶため』の訓練を開始する(そこに至るまでも色々あった)。過酷な状況で生きてきた男の子は他人が空を飛ぶために訓練してやろうなんて言われたって当然信じないし、結局説得されてついていき、訓練を実際にはじめても信じていない。新しい家族に迎えいれられ、だんだんととげとげしいクソガキだった主人公も優しい子供になっていき、そしてついに空を飛べるようになる(比喩ではなく、本当に。だからこそファンタジーなのだ)。ただここでいう空を飛べるというのも結構『人生とは』という本書のテーマともいえる問いに直結していて、ただのギミックではない。空を飛ぶように物語は幸福を迎え、また同じように落ちて、また飛翔、また落ちる、を繰り返す。これが実にこっちの心情を揺さぶる。(特に作中に出てくる主人公の父親、彼が壁として立ちふさがるのですが、読んでいると胃がキリキリしてくる)

 なんだろう、飛ぶっていうことはつまり、三次元的な移動をするということじゃないですか。普通に移動するだけだったら縦横前後の二次元的移動しかできない。しかし空を飛ぶということは、そこに高さが加わる。本書ではまるでジェットコースターのように展開が押し寄せるのですが、それと同時に『時間』もようしゃなく主人公を揺さぶる。本書では時間の経過が大きな問題の一つになっているんです。一冊の中でどれだけの時間が経過するのかは作品によって違いますけれども、人生という大きな枠組みの中で時間が与える影響は滅茶苦茶でかい。そして、その軸がしっかり書かれていたからこそジェットコースターでいう三次元的な動きの激しさが与えられたのではないかと思うのです。若かったあの人も歳をとって、死んで、変わっていき、そうかと思ったら歳をとっても全然変わらない人もいる。誰もが自分の人生を生きている。本書みたいな、大人を子供に引き戻す児童文学って、卑怯だなと思いました。そして、とても暖かい。面白かったです。(本書はid:u-bookさんにオススメされました。凄い作品を紹介してくれて、ありがとうございます!)
 ここからは非常にぐだぐだです。そういえばポール・オースターは実はこれ以外には一冊しか読んだ事が無いのですが、印象がガラっと変わりました。こんな作品も書けるのか! とびっくり・・・。前に読んだ時にはあまり感じなかった、『文章の飛び抜けたセンス』を非常に感じた。基本的に主人公であるウォルト君の一人称自伝風小説なので、ライ麦畑のようなものを想像してもらえればわかりやすいかと。いちいち会話が面白い。イェフーディ師匠に、修行だ、お前を土に埋めるぞ、と言われた時の反応とか。

 「いまからお前を埋めるんだよ、ウォルト」
 「え?」
 「この穴のなかにお前を入れて、土をかぶせて、生き埋めにするんだ」
 「で、俺がそんなことオーケーすると思ってるわけ?」

 読者である自分は小説を読む時に滅多に感情移入したりしないのだけど、このときばかりはウォルト少年と同じく『え?』と口に出して驚いた。こういう先の見えない冗談みちあな展開を平気で何度もやるので、そこがまた面白い。

 泣いたところ

 「いまのお前が何者であれ」と師匠はようやく言った。「お前がいまあるのは私のおかげだ。そうだろ、ウォルト?」
 「そうに決まってるでしょ。師匠に拾ってもらうまで、俺はまるっきりのろくでなしだったんだから」
 「逆もまた真だってことを知っておいてほしい。私がいまあるのもお前のおかげなんだ」

 一番好きなキャラクターは師匠です。何故か感情移入してしまう。特にウィザースプーンと別れる時に、一緒に行こうと言ってくれるのを待っているのにも関わらず最後まで『君が決めるんだ』といっていたところとか。病気を決してウォルト少年にわからないように隠してしまうような、感情の出し方の下手なところがいい。あとは、ウィザースプーンもかなり好きです。

 こんな女性に惚れ込まなかったらどうかしている。この前俺が彼女を目にして以来、世界は無数の変化と破滅をくぐり抜けてきた。でもミセス・ウィザースプーンは、いまも同じタフなあばずれだった。

 いまも同じタフなあばずれだったってのがいいですよな。このセリフの重みも、長い時間が作中で流れたことによる重みです。74か75のおばあさんですよ、このときのミセス・ウィザースプーンは。凄いですね。

 滅茶苦茶ぐだぐだですがとりあえずここでいったん終了…。