橋本治という考え方 What kind of fool am I
- 作者: 橋本治
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2009/04/07
- メディア: 単行本
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批評というものは、「その創作者当人の思う完成形」をイメージして、それを前提に「ああだこうだ」を計るもので、「創作者当人の完成形」の如何を無視して別のモノサシを当てたってしょうがないんじゃないかと、私はそう思っているのである。
言いたいことが分かるようなわからないような。何故こんなことになってしまうのだろう。考えてみるに批評が何なのか、僕はまったく考えたこともないので、ここに書かれていることも何一つ理解できんのではないのか。つまりは自分の中に批評とは何か、という明確な指標が無いから誰かに批評というものは〜〜なんて言われたってどう判断していいのかわからないのである。つまりは保留状態。カウンターパンチとしての自分の考えを用意しようと思っても、どう組み立てればいいのかわからない。思えばこの本に書いてあることがまったくわからないと思ってしまうのは、橋本治が考えることについて僕が一つも考えたことがないからなのではないか。そう考えると本書で語られていることを、すべて保留状態にしているともいえる。そう考えるとわからないなりに本書は面白いものであったような気がしてくる。などと考えていたのだが、やっぱりそれもあり得ない。わからない、考えたこともないものを受け入れたことは、過去に何度でもある。著者の言っていることを自分の頭の中で反芻させて、納得できたときに初めてわかる、となるのである。
ただ考えてもみれば、最近の自分の読書法は、つまりはこの本で言いたいことはこれこれこういうことでしょ? というテーマの抽出をしていただけであって、自分の中に吸収する目的のためだけに行われていたような気がする。パっと理解して、パっと次に行くを至上目的としていたのだが、どうもそれじゃあいかんのではないかと、本書を読んでいてなんとなくおもった。なんとなくと書いたのは「わからないもの」に対する処理の仕方がまだわからないからだ。ただ「わからないもの」を処理する方法を学んだほうがいいんじゃないかと思ったのは「わかった」。その為の本だったのかもしれない。