基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

僕が批評家になったわけ

僕が批評家になったわけ (ことばのために)

僕が批評家になったわけ (ことばのために)

 学問は、問いがあれば、それに答えなければならない。しかし批評はそうではない。ある問いがあり、それについていくら考えてもわからない。その場合にはそのわからないということをもししっかり書ければ、それはすぐれた批評となる。わからないということも、わかるということと同じ、理解の形だからである。

 批評家である加藤典洋による「批評とは何か」を問う一冊です。正直そんなんどーだっていーじゃねーか、というかそもそも批評なんて言葉にほとんど意味がないんじゃないの(いくらでも言い換え可能という意味で)だらだら読んでいましたが、まあそこそこ面白いかな、と。そもそも批評行為なんてものは必要であるのか? と思っていたのですが、確かに良い批評は今まで何の気なしに読んでいた本に対して全く別の視点を与えてくれたりします。そういった意味ではとても面白い。「批評とは、本を一冊も読んでなくても、百冊読んだ相手とサシの勝負ができる、そういうゲームだ」みたいなフレーズが出てきたりしますし。そうはいっても今でも大体の批評は難しい本を出来るだけ読んだフリをして、引用して、権威付けをして、自分の言論に説得力を持たせるゲーム。いわゆる「引用ゲーム」みたいになっている気がしますが。 一部面白いものがあるだけでいいかなと。

 しかしゲームってのはなんか違う気がします。ゲームという以上はやってる当人は楽しいんでしょうが、観ている人たちもたのしめるかといったらなんかちがうんじゃないかと。もちろんプレイ動画は大人気ですし、格ゲーのうまい人なんてのは自分がやっていなくても面白いです。それは多分「自分には出来ないことをやってくれている」から面白いからであって、ゲームとしての批評だとそれと同じ楽しみしか出来ないですよね。しかし本当に面白い批評というのは「創造的な批評」だと思います。なるほど、そんな考え方は絶対に思いつかんわ、とかそんな視点があったとは! みたいな価値観の転換がある批評が僕は好きです。単純に難しいゲームをするするクリアしていく、というよりかは別の遊び方を提供すること…みたいな。そもそも創造ってなんやねんとかいわれるとよくわかんないんですけどね。今までは無かったものを新しく作るみたいなそんな感じですか。

 世の中のものなんて大部分のひどいものと一部の面白いもので回っていますし。あ、ちなみに本書は最後の方の内田樹論が読みたかったから読んだだけなのですが、全体的に凄く真面目な雰囲気で批評の雰囲気を感じ取るには良い一冊でした。なんか批評家の方々が書くものって全体的に息が詰まるものが多いんですよね。毎日論理と整合性ばっかり気にしてたらそうなっちゃうのかもしれませんけど。