基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

君のための物語

君のための物語 (電撃文庫)

君のための物語 (電撃文庫)

 〜〜の物語、という題名の小説に外れ無し説を唱えたいと思う。「あなたの人生の物語」とか、「アイの物語」とか、「あなたのための物語」とか、「ローマ人の物語」(何だと)とか。根拠も一応、ある。小説とはわざわざ他人に向かって「物語」だと宣言しなくても、勝手に周囲は了解してくれる。それならば、わざわざ題名に「物語」とつけられるのは何故か。ほとんどの場合それは作中作ということになる。作中で、誰かから誰かにあてられた作品が、今手に取っているその物語なのである。

 誰か特定の人間へ向けて放たれた文章は、強いメッセージ性を持つ。僕はこれが文章を書く上で意識するべき一番強い点だと思う。全人類へ向けてとか、みたいな文章だと、人類にも色々な人がいますから合う人合わない人はどうしても出てきてしまう。まあそんな複雑な問題じゃなくて、単に指向性の問題だと思った方がいいかもしれません。拡散したかめはめ波よりも、一点集中したかめはめ波の方が強いでしょう、そういうことです。

 例えば外国の文学ではよく、「誰誰に捧ぐ」みたいな文章が最初に挿入されている場合があります。日本ではあまり見られませんが。これはたまたま書きあがったものが書けたのはあなた達の助けがあったからです、というような感謝で書かれることも多いと思うのですが、本当の意味で「誰かのために」書いたのならばそれは指向性を持った強い作品ということになります。しかしその捧げられた当人や、当人と感性が近い人はその物語に強く引き付けられるかもしれませんが、まったく感性が似通っていない人はあまり楽しめないのではないかと思うのです。

 しかし〜〜の物語、で作品内部のキャラクターにその物語が贈られる場合、その物語が誰に贈られるのかは、読者にはちゃんと認識される。その当人がちゃんと書きこまれているならば、なるほどこいつあてか、それは贈られたこいつはさぞや嬉しいだろうなあ、楽しいだろうなあ、とか色々想像して楽しむことができる。それが凄く面白さにつながるのではないか。特定の誰かに向けて語られた「指向性」のある物語はメッセージ性が強く面白い。その指向から外れた人からは面白くないかもしれない。しかし、その指向の先が作中で示されていたらなるほど、と納得できる。まとめるとそういうことになるのではないか。
 ↑で辞めようかと思ったけど作品について何も書いてなかった。全五章からなっていて基本的に一章で一話。短編集みたいな感じです。ワトソンを彷彿とさせる微妙にダメな(でも決めるときゃ決める)語り手の小説家に、不思議な謎を持ったイケメン紳士。正直いって、あまりラノベっぽくない作品であります。主演は二十代あたりだと思われる男二人だし、固定ヒロインはいないし、もちろん学園モノではない。本書を気にいるのはたぶん平均年齢が他の作品より高めになるんじゃないかと思います。特に本書の最後の1ページは↑の文章をわざわざ書きたくなるぐらい良かったです。

 ところで語り手である小説家の絵が一切出てこないのだが、ひょっとしてお顔が放送禁止なのだろうかと勘ぐってしまう。イケメン紳士とかわいらしい女の子の絵はいっぱいあるのに! いやまあ需要はイケメン美女しかないだろうけど!

 まあそれはそれとして、語り手が小説家というところに作者の本気が見えると思う。何しろ作者だって小説家であり、小説家の悩みも挙動も、思考回路もすべて把握しているだろうからだ。語り手には自分の思考を書けばいいのだ。そういうことがあるのかどうか正直わからないのだが、朴訥ながらも真摯な語り手は(容姿はひょっとしたら放送禁止かもしれないが)好感が持てるし、謎の成年レーイ(どうでもいいけどボンバーマンのルーイを連想してしまう)も謎がなかなか明かされなくて魅力的なキャラクターだ。ちょっとしか出てきていないにも関わらず良いキャラクターが他にも多くいて、続編が読みたいのだがどうにも出ていない様子。