- 作者: 日垣隆
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2008/05/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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たぶんほとんどのビジネス書がそんな感じです。しかし全てをすっきり忘れてしまうが悪いことかどうかというと、まあそう悪いことでもないでしょう。何冊もビジネス書や自己啓発書を読めば、そこには必ず「共通の法則」がまぎれています。たとえ一冊読んで内容をすべて忘れてしまっても、繰り返し繰り返し同じような内容のビジネス書を読むことによってチリも積もっていくはずです。ビジネス書というのは、そういうものだと思います。そもそもビジネス書とは何か? とかがわからなくなってきたんですが、そんなことをやっていたら無限に長くなりそうなのでやめておきます。
それにしてもほとんどのビジネス書がこんなにも簡単に脳から消えていってしまうのはなぜなのか、と考えてみるに、「あまりにもわかりやすすぎる」のが原因なのではないかと思います。ビジネス書ってのはその性質上読みやすさ至上主義、伝えたい情報だけ伝えてさっさと離脱、まるでメールで要件だけを伝えて去っていくような簡略さがありますからね。ちゅるん、って入ってきたものはちゅるん、って出ていくわけです。あれ、書いてて「何今更当たり前のこと言ってんの」みたいな気がしてきましたけど…、しかしまあそうなのですよ。
脳に残る文章とは
「何を言っているのかすぐにわかる文章」がどうも記憶に残らないことはまさにその通りだと思うのですが、それなら「何を言っているのかわからない文章」が脳に残る素晴らしい文章なのかといえば、別にそういうわけでもありませんね。それで、「脳に残る文章」が何かと言えば「なんだかよくわからないけれど、凄そうなことを言っているような文章」です。凄そうなことを言っているとは思うのだが、よくわからない文章を、ぼくらは繰り返し読み、理解できないという苦い経験と共に記憶に刻み込まれます。
いやいや、だから問題は「なんだかよくわからないけれど、凄そうなことを言っている文章」とただ「何をいっているのかわからない文章」はどこが違うのか、っつーことなんだって。うーん、たぶん「理解」と「誤解」がせめぎ合っている文章が、「なんだかよくわからないけれど、凄そうなことを言っている文章」だと思うのですよ。「言葉にしづらいことを頑張って言葉にしようとしている感覚」と言ってしまってもいいかもしれません。そんな「じたばた」している文章を、ぼくらは読み、そして「きっとこういうことだろう」という「誤読」を犯す権利を得ます。じたばたしているというのは、「あ〜〜こっち、こっちだよ! あ、いややっぱこっちかな? たぶんこんなもんかな?? どうかな??」みたいな文章のことですから。
この誤読をする権利を与えられる文章が、たぶん、良い文章ということになるのでしょう。そして、ビジネス書にはそういうものがあまりないですよね。いや、ビジネス書ってのは最初に書いたように「そーいうもんだ」ってのはわかるんですけれど、ていうか「言いたいことが伝えられなくてジタバタしている」ようなのはたとえビジネス書として書いたとしても、ビジネス書とは受け取られないかもしれません。つーかなんでわかりづらいビジネス書が読みたい、なんて思ってしまったんだろう。わかりづらい本なんて、ビジネス書以外でも溢れかえっているからそっちを読めばいいのに。などと思いながら閉めます。