- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 1998/08
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 25回
- この商品を含むブログ (53件) を見る
本書が発表されたのはたしか1997年、文庫本が出たのが1999年ですので、約10年前になります。思えば10年で日本も大きく変わったものです。ここで「ヤバイモノ」として取り上げられている「現代の病」は、もはや病ではなく当然そこにあるべきものとして存在してしまっている。もう今更少女の売春を、誰も問題にしない。しかし1999年当時は、やはり事が起りはじめたばかりということで注目が集まっていたんでしょう。そういえば宮台真司なんかが、売春がどーたらこーたらと言いだしたのもこの時期でしたっけ。そういうことを思い出して、非常になつかしく読みました。以下ネタバレ
白鳥の羽?
なぜ「白鳥の羽」を最後にケンジに渡したのかなーと不思議だったのです。「白鳥の羽」はどう考えても最初に殺した白鳥のもので、つまりそれは「殺人鬼へと一歩踏み出した」記念すべき瞬間のアイテムなわけで。それを、彼の人生で唯一知り合えた友だちであるケンジに渡す。で、それはどーして? という話なのですが、シンプルに自分に読解力が足りてないだけの気もして少し恥ずかしい。純粋に自分の事として考えてみると、信頼できる友人と最後の別れの瞬間に「自分にとって一番大切な物」を渡すのは心理的には凄く理解できます。猟奇殺人犯にとっての「一番大切な物」がたまたま異常ともいえる「白鳥の羽」だっただけで、別に特別な意味なんてねーのかもしれないですね。ただ、「特別な意味」が無いが故に「特別」になっているともいえる。ナチュラルに殺人者、という宣言なわけですから。
イン ザ・ミソスープ?
ぼくらがいる世界は色んな素材が混ざっている味噌汁みたいなもので、その中には当然フランクさんみたいな異常な人もいるんだよ、っていうタイトルの意味だと思ったんですけれど、なんだか解説の人の話とか聞いてると意見が違うみたいです。フランクさんが最後に「ぼくは今ミソスープのド真ん中にいる」というのは、「みんなで一か所に集まって除夜の鐘を聞く」という極めて日本的な、同調性の高いイベントに参加することによって「俺も日本の味噌汁の一員だぜヒャッホウ」みたいな話かなと。フランクさんがケンジと、「一緒にミソスープを飲みたかった」のも、「国民全員が同じものを食す異常性に同調したかった」んじゃないの。なんて考えたりしてました。日本はごちゃごちゃした文化、異常殺人者、孤独な人間、他人に無関心な人間がいっぱいごちゃごちゃ入っていて、それはもう良いとか悪いとか置いといて「そういうものだ」としか言う事が出来ない。だって、それがミソスープの中にいるということなのだから。